表参道 歴史にゃんぽ
2015.07.15

鳩森八幡神社(2)千駄ヶ谷の富士塚

皆さんは『富士塚』を見たことがありますか?
神社などにある、ゴツゴツした岩で出来ている築山のような小さな山で、途中に小さなお社や名所が色々とあって、すぐに頂上に登ることもできて、とっても楽しいんだにゃん。

都内最古の『千駄ヶ谷の富士塚』

渋谷区千駄ヶ谷一帯の総鎮守、鳩森八幡神社には、高さ7mの『富士塚』があります。鳩森八幡神社の富士塚は『千駄ヶ谷の富士塚』と呼ばれ、江戸七富士のひとつにも選ばれているんだにゃん。

今も『江戸七冨士巡り』が出来る神社なんだにゃん!
千駄ヶ谷富士(鳩森八幡神社境内)、品川富士(品川神社境内)、下谷坂本富士(小野照崎神社境内)、江古田富士(茅原浅間神社境内)、十条富士(富士神社境内)、音羽富士(護國寺境内)、高松富士(富士浅間神社境内)

鳩森八幡神社 千駄ヶ谷の富士塚鳩森八幡神社にある『千駄ヶ谷の富士塚』

鳩森八幡神社の富士塚を作ったのは誰?

鳩森八幡神社の『千駄ヶ谷の富士塚』は、千駄ヶ谷周辺の人々によって構成された烏帽子岩講によって、寛政元年(1789年)に築造されたと言われています。

それより前、高田藤四郎によって築造された早稲田の『高田富士』という富士塚がありますが、こちらは昭和39年(1964年)の早稲田大学キャンパス拡張工事の時に移築されたので、当時と同じ場所にある富士塚の中で一番古いのは、鳩森八幡神社の富士塚なんだにゃん!

『高田富士』のある早稲田水稲荷神社HP

鳩森八幡神社の富士塚の頂上には、富士山から運ばれたボク石(溶岩)が使われ、浅間神社の奥宮が祀られています。
山裾には浅間神社の里宮が祀られ、7合目には身祿様が安置されている洞窟や烏帽子岩、釈迦の割れ石があり、山腹には熊笹が、そして富士塚の前には、6月になるときれいな菖蒲の花が咲く池があります。

このように富士塚は、小さいけれど本物の富士山そっくりに造られています。そして今はビルに影に隠れて見えなくなってしまったんだけど、昔はこの富士塚の頂上から、本当の富士山を拝むこともできたんだにゃん!

だけど烏帽子岩講の人々は、大変な苦労をして、なぜこのような富士塚を作ったんだにゃん?

食行弥勒(じきぎょうみろく)様

江戸時代の中頃の八代将軍・徳川吉宗(1684年~1751年)の時代、戦国時代から100年続いた高度成長に翳りが見えはじめました。
吉宗は『享保の改革』を行い、質素倹約と増税によって財政再建を目指しましたが、江戸大火や享保の大飢饉(享保17年・1732年)が起きたこともあり、民衆はとても苦しみました。

そのような社会不安が高まっていた時、食行弥勒(じきぎょうみろく)という人物があらわれ、四民平等・男女平等・言論の自由を説き、富士山に入りました。

そして吉田口7合5勺の鳥烏帽子岩の岩窟で、31日間の断食と瞑想を行い、入定(にゅうじょう・悟りを得て即身仏となること)を果たしました。
食行弥勒のこの行動と教えは、苦しんでいた民衆にとても大きな影響を与えました。

池には菖蒲がきれいに咲きそろいます。富士塚のふもとの池の菖蒲がきれいです。
小御嶽石尊大権現です。小御嶽石尊大権現もあります。

食行弥勒の行動に感銘を受けた人々は、富士信仰の信者をとりまとめる『富士講』という組織を作りました。

『富士講』は江戸で爆発的な人気となり、『江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講、江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人』と言われるほどになりました。
鳩森八幡神社の『烏帽子岩講』も、最盛期には300人を超える大富士講になったそうです。

富士講の人々は皆でお金を出し合い、代表者が富士山に登りました。そして富士山に登れない女性やお年寄りが、気軽に富士山のご利益を得られるようにと、各地に富士塚を築造しました。このようにして、慈悲をもって勤労に励むことを説いた食行身祿の教えは、さらに人々に厚く信仰されました。

開運山開き大祭なんだにゃん!開運山開き大祭なんだにゃん!
境内は紫陽花や菖蒲も見頃でした。鳩森八幡神社の境内は、紫陽花や菖蒲がきれいでした。

そもそも富士信仰って何?

富士信仰のはじまり

その美しい姿から、古の昔から神の山として崇められてきた富士山。しかし富士山は、噴火を繰り返す恐ろしい山でもありました。 紀元前27年、第11代垂仁天皇はご神霊を鎮め噴火が治まるようにと、富士山山麓に浅間大神を祀りました。

富士山本宮浅間大社HP

現在の富士山本宮浅間大社には、『古事記』にも登場する天孫瓊々杵尊(てんそんにぎぎのみこと)の皇后、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと・別称、浅間大神(あさまのおおかみ))が祀られています。木花之佐久夜毘売命は富士山のように美しい神様なんだにゃん。

奈良時代(西暦710年~794年)に編纂された万葉集にも、富士山を詠んだ高橋蟲麻呂(たかはしむしまろ)の和歌がおさめられています。

「日本(ひのもと)の 大和の国の 鎮めとも います神かも 宝とも なれる山かも 駿河なる 富士の高嶺は 見れど飽かぬかも」

室町時代(西暦1336年~1573年)になると修験者たちが富士山にはいり、様々な厳しい修業をするようになりました。

この頃描かれた『富士曼荼羅図(ふじまんだらず)』には、富士山のてっぺんの三つの峰に、薬師如来(やくしにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、大日如来(だいにちにょらい)の姿が描かれています。

仏様のキソ知識
如来は仏様の順位の中でも頂点にたつ仏様で、薬師如来は医療を担当し、阿弥陀如来は極楽浄土への案内をし、大日如来は太陽を神格化した仏様なんだにゃん。
悟りを開いた「如来」の下には、悟りを開く前の「菩薩」(ぼさつ・地蔵菩薩など)、如来の使者の「明王」(みょうおう・不動明王など)、インドの神々を由来とする「天」(てん・毘沙門天など)があるんだにゃん。

絹本著色富士曼荼羅『絹本著色富士曼荼羅』(富士山本宮浅間神社様ご提供)。祈りながら富士山に登る人々が描かれています。

戦国時代(西暦1467年?~1590年)も、駿河の今川氏や甲斐の武田氏などが、特に富士信仰を大切にしたそうだにゃん。

冨士講の開祖・角行(かくぎょう)

富士信仰の信者達による組織、『冨士講』の開祖は、戦国時代末期から江戸時代にかけて活躍した藤原(長谷川)角行(西暦1541~1646年)だと言われています。

角行は富士山の人穴(静岡県富士宮市)に入って千日の修行を行い「富士は世界の鎮守、天地の始、国土の柱」と唱え、富士信仰を広めました。

角行は、不眠の大行18800日、断食300日、富士登山128回、御中道33回、そして約14cm角の柱に1000日間爪立ちするなど、様々な難行を行いました。 そして超自然的な能力『験力』を得て、疫病に苦しむ人々など、広く民衆を救済しました。そして106歳の時、富士山の人穴で入滅したと伝えられています。

角行の行いは多くの人々の心をうち、富士信仰が広がり、富士講が組織されることになりました。

村山浅間神社HP

都指定有形民俗文化財に指定されています。
富士山が世界文化遺産に指定され、富士塚も増々注目が高まっています。富士山が世界文化遺産に指定され、富士塚も増々注目が高まっています。

冨士信仰の大ブーム!

その角行から数えて5代目に当たるのが、先ほどご紹介した、江戸時代中期に活躍した食行弥勒です。

食行弥勒は、角行の教えを受け継ぎながら、さらに救世を祈願し、命をささげて断食を行いました。
その食行弥勒の教えは多くの人々の心を打ち、多くの参拝者が集まる富士山吉田口には、参拝者達のお世話をする御師(おし)が現れ、宿泊するための宿坊が出来ました。

北口本宮冨士浅間神社HP

富士信仰は、さらにその御師たちによって広められ、関東、中部、東北、近畿、中国地方など、全国に広がりました。そして各地に浅間神社が創建され、富士講が組織されました。

 

千駄ヶ谷の富士塚 開山式に行ってきたにゃん!

 

おごそかに執り行われました。おごそかに執り行われました。
氏子地域の町内の代表の方々がご参列でした。氏子地域の町内の代表の方々がご参列でした。

6月3日、鳩森八幡宮の境内で、富士浅間神社例大祭、つまり富士塚の開山式がとりおこなわれました。 渋谷区の新旧の区長さんはじめ、氏子の町内会の代表の方が参列され、おごそかに神事が行われたんだにゃん!

富士塚の麓の富士浅間神社に奏上される宮司様の祝詞(のりと)が、とても清々しく響き渡り、聞き惚れてしまったにゃん!

いえかどたかくひろく いやさかえに
たちさかえ しめたまえと
かしこみ かしこみ ももうす~

祝詞も素晴らしいけど、篳篥(ひちりき)の音色も素晴らしかったにゃん!
篳篥というのは(しょう)や龍笛(りゅうてき)と共に、雅楽で使われる古代からの日本の楽器なんだにゃん。

篳篥は人の声、つまり地上の声をあらわし、笙は、天から差し込む光を現しているそうだにゃん。そして龍笛は、天と地を行きかう龍の鳴き声をあらわしているそうだにゃん。

その後、境内のスピーカーから流れる『六根清浄』(ろっこんしょうじょう)の唱(とな)え言葉にあわせて、みんなで富士塚に登拝したんだにゃん。

ろっこんしょうじょう
さんげ さんげ
ろっこんしょうじょう
さんげ さんげ

『金王桜まつり』開催中みんなで富士塚に登りました
江戸三名桜に讃えられた金王桜山頂の奥宮にお参りしました。

六根清浄の六根とは、眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根の六感のことをいうそうだにゃん。
つまり不浄を見ず、不浄を聞かず、不浄を嗅がず、不浄を味あわず、不浄に触れず、不浄を思わず、身も心も無垢清浄になりましょう、という祈りの言葉が『六根清浄』なんだにゃん。

『金王桜まつり』開催中山腹の浅間神社
江戸三名桜に讃えられた金王桜やさしいお顔の食行弥勒様

鳩森八幡神社の富士塚の頂上には浅間神社の奥宮があり、金明水、銀明水のご霊水があります。
そして中腹の烏帽子岩近くの洞窟には、入定された食行身祿様がいらっしゃいます。
食行弥勒のことはもちろん、富士塚を築造した鳩森八幡神社の烏帽子岩講の方々の気持ちを想うと、なんだか胸が熱くなるにゃん。

そして宮司様や氏子地域の町内の代表の方、皆様がこうして祈ってくださっているから、渋谷区やこの千駄ヶ谷一帯は守られているんだにゃー、と思ったにゃん。

文:重久 直子

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