表参道 歴史にゃんぽ
2016.02.15

東郷神社(2)勝利の神様・東郷平八郎

原宿駅のすぐ近く、竹下通りのすぐお隣にご鎮座する東郷神社
この東郷神社のご祭神は、日露戦争で大活躍した東郷平八郎元帥です。東郷さんは日本海海戦で総司令長官として連合艦隊を指揮し、日本を大勝利に導きました。

東郷さんは世界史的に見ても、1805年のトラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を打ち破ったイギリス軍のホレーショ・ネルソン、1775年から1783年のアメリカ独立戦争でイギリス艦隊を打ち破ったアメリカ人のジョン・ポール・ジョーンズと並び、世界三大提督(せかいさんだいていとく)の一人として称えられる軍人さんなんだにゃん。

東郷神社については、前回の記事を読んでにゃん!
東郷神社(1)原宿の勝利の神様

東郷平八郎命東郷平八郎命

薩摩藩出身の東郷さん

東郷さんは幕末の弘化4年(1847年)、現在の鹿児島県で生まれた薩摩藩士でした。

17歳の時、薩摩藩とイギリスが戦った薩英戦争(さつえいせんそう※1)で初陣を飾り、近代国家のイギリスと日本との力の差を思い知りました。
そして戊辰戦争(ぼしんせんそう※2)では明治新政府軍の一員として旧幕府軍と戦い、近代国家としてスタートしたばかりの日本軍の弱点も知りました。

※1 薩英戦争(文久3年・1863年)…日本の薩摩藩と当時世界最強のイギリス軍が戦った戦争。
※2 戊辰戦争(明治元年・1868年前後)…明治新政府と旧幕府軍の内戦。

※(写真)東郷神社 外観厳粛な雰囲気漂う東郷神社本殿に続く参道

明治になり、東郷さんは海軍士官として、24歳の時にイギリスに官費留学をしました。 しかしその間、故郷の薩摩では西郷隆盛を中心とした西南戦争が起き、薩摩軍に加わった東郷さんの兄弟や親族の多くが亡くなりました。

東郷さんはこの時、「亡くなった兄弟や親族の分も立派に海軍の勉強を身に着け、お国のために役に立たなければならない」との決意を固め、より一層勉学に励んだそうだにゃん。

7年間のイギリス留学を終えて帰国した東郷さんは、その誠実な人柄と国際的な視野で、日本海軍をアメリカ・イギリスに並ぶ世界三大海軍に育てました。 そして日清・日露戦争の勝利に大きく貢献し、小国だった日本をアメリカ・イギリス・フランス・イタリアと並ぶ世界五大国に引き上げ、日本の国際的な地位を引き上げました。

日露戦争。日本海海戦での大勝利

東郷さんは日露戦争(1904~1905年)の時、総司令長官として戦艦三笠を旗艦とする連合艦隊を率いました。そして日本海海戦において、当時世界最強と恐れられたロシアのバルチック艦隊を破りました。

日本の連合艦隊はロシアのバルチック艦隊16隻を沈めて壊滅。これほど完璧な勝利は世界の海戦史上なかったそうだにゃん。
この時日本は、260年に及ぶ鎖国を解き、年号を明治と改め近代国家としてスタートしてからわずか50年。東の果ての小国の日本が大国ロシアに勝つなんて、世界中、誰も想像していなかったにゃん。

だから東郷さんをご祭神とする東郷神社は特に“勝つ”ことに御利益のある神社だと言われ、お守りの中でも特に『勝守り』が有名なんだにゃー。

Z旗のある「勝守」(左)と、草花がお好きだった東郷さんにちなんだ、華おみくじ(右)

イギリスのジャーナリストは東郷さんを『東洋のネルソン提督』と称え、長い間ロシアの脅威に脅かされていたトルコの人々は、生まれた子どもにトーゴ―という名を付けたり、トーゴービールというビールを発売するなどして喜んだそうだにゃん。

『Z旗』に込めた決意

東郷さんは日露戦争に先立ち「天佑を確信して連合艦隊の大成功を遂げよ」 と部下達に発しました。
そして日本海海戦に挑むにあたり、「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」 という意味を込め、『Z旗』を掲げました。

『Z旗』というのは航行する船が連絡する時に使う『国際信号旗』のひとつで、「タグボートが欲しい」という意味があるそうなんだにゃん。でもこの時東郷さんは、絶対に負けられない戦の勝利を祈願して、「もう後がない」という意味を込めて、アルファベットの一番最後の『Z』の旗を掲げたと言われているにゃん。

東郷神社には東郷さんの偉業を説明した絵画が掲げられているにゃん

連合艦隊の旗艦・三笠

東郷さんが総司令長官として指揮をとった連合艦隊の旗艦三笠は、日本の独立を守った誇りの象徴として、横須賀の三笠公園に記念艦として保存されました。

『記念艦三笠』は、イギリスの『ビクトリー号』(ナポレオン戦争でのトラファルガー海戦勝利の記念艦)、アメリカの『コンスティテューション号』(フランス革命、ナポレオン戦争、独立戦争で活躍)と並び、世界三大記念艦の一つとして称えられていますが、他の記念艦もイギリスとアメリカの公園で、大切に保存されてるんだにゃん!

『T字戦法』『東郷ターン』って知ってる?

ところで、日本海海戦で東郷さんが指揮した戦法を『T字戦法』(※3)といい、その時の連合艦隊の急旋回のことを『東郷ターン』(※4)といいます。
一部の男子の間では、「東郷ターンで告白すると恋が叶う」という噂があるそうだにゃん。好きな女子の進路を防ぎ、振り向きざまに告白するんだにゃん!

(※3)T字戦法…戦艦は前方と後方に大砲があるので、複数の戦艦が一列に並び、側面から前後の大砲を一度に発射して敵に砲撃するのが効果的。この形を取りながら、敵の戦艦が一列になって進んでくるのを待ち構え、先頭の敵艦から順番に撃ち沈めていくのがT字戦法です。

(※4)東郷ターン…T字戦法の形に持っていくために東郷さんがとった作戦。敵艦隊に向かって進みながらその直前で大旋回し、しばらく横に並びながら追い越して進路を防ぎ、T字の形になって砲撃、敵艦隊を次々と沈めていきました。

※(写真)T字戦法T字戦法についてもわかりやすく説明されているにゃん

勝って兜の緒を締めよ

徳川家康は『関ヶ原合戦』で勝利した時、「勝って兜の緒を締めよ」(勝ったからといって喜んで油断せず、さらに身を引き締めて次に備えなさい)と言ったといわれていますが、東郷さんも大国ロシアに勝利した時、歓喜する人々に同じことをおっしゃったそうです。

日露戦争が終わり、連合艦隊の解散式での東郷さんの訓示です。

「神明は唯平素の鍛錬に力め、戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安ずる者より、直ちに之を褫う。古人曰く、勝って兜の緒をしめよ、と」
(神様は普段からしっかり訓練し、元々勝てる力を持った者に勝利の栄光を授ける。しかし一時の勝利に満足して油断すれば、たちまちその勝利も栄光も奪う。昔の人も「勝って兜の緒を締めよ」とおっしゃった)

日露戦争の時の日本海海戦では、東郷さんが述べた「百発百中の一砲よく百発一中の敵砲百門に対抗し得る」 の言葉の通り、兵士達は砲撃の練習を積み重ね、命中率を上げていました。そのおかげで実際の海戦でも高い命中率を上げ、勝利することができたのです。

ここからきっと東郷神社の『百発百中守り』が生まれたんだにゃー。

※(写真)百発百中守り東郷神社は「勝守」も有名ですが、「百発百中御守」も凄いにゃん

渋谷は東郷さんのご祖先様ゆかりの地

昭和9年(1934年)、東郷さんは86歳でお亡くなりになりました。
すると明治、大正、昭和の3つの時代に、至誠一筋で国家に奉仕された東郷さんの遺徳を長く後世に伝えたいという声が、全国各地で湧きあがりました。

そして昭和15年(1940年)、東郷さんを崇敬する東郷神社が創建されました。
明治天皇がご鎮座される明治神宮のすぐそばに創建されたことで、東郷さんもきっとお喜びだと思うにゃん。そして実は東郷さんのご先祖様も、渋谷と深い繋がりがあったにゃん。

実は東郷さんの遠い遠いご先祖様は、桓武天皇の子孫の高望王を祖とする秩父平氏の平良文(たいらのよしふみ)で、その一門は現在の埼玉県秩父市から関東各地に広がり、千葉氏・葛西氏・豊島氏・江戸氏・河越氏・畠山氏・渋谷氏などとなり、坂東平氏と呼ばれました。
千葉、葛西、豊島、江戸、川越、渋谷…、今も地名に名前が残っているにゃん!

そしてその坂東平氏の中の一門、渋谷氏が東郷さんのご先祖様なんだにゃん。

渋谷氏は、現在の東京の渋谷や神奈川県の川崎、そして相模原・海老名・大和・綾瀬に膨大な領地を持っていました。 渋谷氏は源頼朝に仕え、鎌倉幕府の成立にも貢献したんだにゃん。

渋谷駅の近くにある金王八幡宮は、渋谷氏の祖・河崎基家(かわさき もといえ)が寛治6年(1094年)に創建した神社です。
河崎基家の子・重家の時に渋谷の姓を賜り、渋谷八幡宮と称されましたが、重家の子・金王丸の名声にちなみ、金王八幡宮と称されるようになりました。

【参考】 金王八幡宮 (2)~渋谷にあった渋谷城と、城主の渋谷氏を探る!~

渋谷城の中にあった神社が今も金王八幡宮としてご鎮座しているにゃん渋谷城の中にあった神社が今も金王八幡宮としてご鎮座しているにゃん
『東郷氏発祥の地』の碑神奈川県綾瀬市の城山公園には早川城がありました。今は東郷氏発祥の地の碑があります(攻城団)より画像引用

平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した渋谷重国(しぶや しげくに)が居城した早川城(現在の綾瀬市の城山公園)には、『東郷氏発祥の地』の碑があります。

渋谷重国の子の光重は、1231年に起きた『承久の乱』で功績をあげ、鎌倉幕府より薩摩の5つの領地を与えられました。
光重は5人の息子達に、薩摩の5つの領地、東郷・祁答院・鶴田・入来院・高城をそれぞれ与え、彼らは薩摩渋谷氏と呼ばれました。その薩摩渋谷氏の中の東郷家から、700年後に現れたのが東郷さんでした。

実は渋谷重国の娘の方の子孫には、東郷さんと共に日露戦争で戦った乃木希典(のぎ まれすけ)大山巌(おおやま いわお)がいるそうだにゃん。

渋谷氏、今も昔も凄い一門だにゃん!

戦争でご社殿焼失。そして日本とアメリカの平和の懸け橋に

日露戦争から約30年後、第2次世界大戦が起き、戦争は次第に拡大していきました。そして昭和19年(1944年)11月27日の空襲と、昭和20年(1945年)5月25日の『山の手大空襲』により、東郷神社のご社殿は、そのほとんどを焼失してしまいました。

連合艦隊の旗艦・三笠を永久保存していた三笠公園も、戦後すっかり荒廃してしまいました。

この状況に心を痛め、東郷神社と記念艦三笠の復興に力を尽くしたのが、アメリカのチェスター・ニミッツ元帥でした。 ニミッツはアメリカ軍太平洋艦隊司令長官として、かつては日本軍と戦った軍人ですが、同じ軍人として、東郷さんを大変尊敬していました。
また英国の貿易商のルービン氏も、記念艦三笠の荒廃を嘆き『ジャパンタイムス』に文章を投稿しました。

※(写真)チェスター・ニミッツ元帥東郷さんをとても尊敬していたチェスター・ミニッツ元帥(ウィキペディアより

こうしたことが内外に大きな反響を呼び、昭和33年に東郷協賛会と三笠保存会が再興されました。そして昭和39年(1964年)に東郷神社が復興し、昭和36年には記念艦三笠が復元されました。

「貴国の最も偉大なる海軍軍人東郷元帥の旗艦、有名な三笠を復元するために協力された愛国的日本人のすべての方へ、最善の好意をもってこれを贈ります。
東郷元帥の大崇拝者たる弟子 米国海軍元帥 C・W・ニミッツ」

ニミッツが亡くなると、アメリカにニミッツの功績を記念した『ニミッツ・センター』が設立されました。 その時、東郷さんと縁の深い方々が、東郷さんが愛用した書斎の実物大レプリカと日本庭園を『ニミッツ・センター』に寄贈しました。
この庭園は『平和の庭』と名付けられ、『ニミッツ・センター』は、アメリカと日本の英雄を記念する平和のための施設になったんだにゃん。

戦争はもちろんよくないけど、祖国のために戦った英雄は、敵国同士であろうと称えあうものなんだにゃん。

※次回は、旧下渋谷村・豊沢村の総鎮守・渋谷氷川神社に行くにゃん!

文:重久 直子

東郷神社
住所 東京都渋谷区神宮前 1-5-3
TEL 03-3403-3591 (代表)
【開門時間】
4月~10月 6時
11月~3月 6時30分
元旦のみ 0時
【閉門時間】
17時
※元旦~1月3日のみ 18時
【アクセス】
JR線「原宿駅」、東京メトロ線 明治神宮前<原宿>駅 より徒歩5分

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