マッシュのオモハラおしゃれ散歩
2015.05.15

ファッション業界人が語る“私と原宿・表参道”(5)熊倉麻美さん

原宿・表参道と切っても切り離せないのがファッションです。そこで、このコーナーでは、この地域を舞台に活躍するファッション業界関係者にスポットを当て、街の魅力や思い出を語っていただきマッシュ!

今回のゲストは、いくつもの人気ブランドのPRやコンサルタント、広告代理などを幅広く手掛けるリエートの代表 熊倉麻美さんです。

熊倉麻美 さん/リエート 代表(CEO)

熊倉麻美さん熊倉麻美さん

熊倉麻美さん/リエート 代表(CEO)
福岡生まれ。青山学院中等部に入学し高等部、大学へと進学。中学生の時、表参道でスカウトされセブンティーンのモデルとして活躍。中学3年生で一旦、モデルを休止するが、大学生の時にファッションショーのモデルとして再度活動を開始。その後、UCLAに留学しコミュニケーションについて学ぶ。帰国後、ファッション専門商社に勤務し、営業アシスタントを経てプレスの道へ進む。2011年、ファッションブランドのPRやコンサルタント、広告代理、イベント企画などを専門に行うリエートを設立し、代表を務める。
http://lieto-ltd.com/


中学時代はセブンティーンモデルとして活躍

中学時代から青山学院だった熊倉さんにとって、表参道・原宿は青春を過ごした場所です。そんな彼女が、ほかの学生と違っていたのはモデルとして活躍していたところ。学生生活、お仕事、プライベートをどんなふうに過ごしていたのか、気になりマッシュ!

熊倉さん:
父が転勤族だったので福岡で生まれたあと、幼少期は長崎、静岡、所沢と日本中を移動しました。そして中学から青山学院に通うことに。一番の思い出はクレープ屋さんですね。いつも女の子同士でワイワイ楽しく食べていました。原宿でもよく食べましたが、現在のAOビルあたりに、すごくおいしいクレープ屋さんがあったんですよ!学園祭の時に、そこのおじいさんに弟子入りをして、教わったクレープを作った思い出があります。
あとは学校のクリスマスも印象的でした。毎年、青山学院大学の正門脇の木をクリスマスツリーにして点灯する点火祭があるんです。いまでも、その時期になると車で通っていても嬉しくて見てしまいます。

熊倉さんが通った青山学院大学。熊倉さんが通った青山学院大学。
青山学院大学のキャンパス。学食は昔のままです。現在のAOビル周辺。当時は現在AOビルにも入居している紀ノ国屋が単独で店舗を構えていました。このあたりにあったクレープ屋さんが中学生、高校生時代の熊倉さんとお友達のお気に入りでした。

モデルになったのは中学生の時です。中学一年生の学校帰りに表参道でスカウトされて、雑誌セブンティーンの専属として中学3年生まで活動をしました。私は背が高かったのがずっとコンプレックスでした。でも、モデルは高身長がコンプレックスではなく、利点として生かせるお仕事です。小学生のときから、モデルはそういう仕事だというのも知っていました。

中学生の時、身長にコンプレックスを抱えていましたが、当時の周りの子たちもみんな身長が170cmくらいありました。だからみんなで励ましあって、仲良くなって(笑)。

お仕事は部活動の一環のように思っていましたね。仕事というよりもみんなに会えるのが楽しいから現場に足が向く。そんな感じでした。このころのファッション誌はいまほどリアルな写真を撮影していませんでしたね。現在はスナップのように自然な雰囲気で撮影するのが主流ですが、当時はお決まりのポーズもあったり。現場で関わった編集部の方たちは、みなさん、すっかり偉くなられましたが、中学生の頃の私をご存じなので、今でも娘や妹のように可愛がってくださいます。

セブンティーンのモデルとして大活躍だった熊倉さんを掲載した当時の誌面。身長が高く、すらりとしたスタイルの良さはいまもお変わりありませんね。熊倉さんのセブンティーンモデル時代。掲載された貴重な誌面をおかりできました!身長が高く、すらりとしたスタイルの良さはいまもお変わりありませんね。

高校時代はサッカー部のマネージャーに

上品で華やかな熊倉さんですが、意外(?)にも大のサッカー好きなんだとか。サッカーに親しんでいた学生時代のお話を聞かせてください。

熊倉さん:
中学2年生か3年生くらいの頃にJリーグが立ち上がってサッカーが大人気に。私もサッカーが大好きで、このころ福田正博選手と浦和レッズを一生懸命応援していましたね。そこで私は高校生になるとサッカー部のマネージャーを務めました。青山学院高等部のサッカー部はあまり強くなかったけれど、このときはじめて都大会に出場してものすごく嬉しかったのを覚えています。

青山学院高等部時代には、サッカー好きが高じてサッカー部のマネージャーに。
青山学院高等部のときの一枚。学校周辺、表参道、原宿をみんなで歩くのがとにかく楽しかったそうです。

青山学院出身者はファッション業界に多いんですよ。男女関係なく、みんないまも友達付き合いが続いていたりして、青山学院卒業生という連帯意識も持っています。

ショーのモデルとしてパリコレに登場!

中学3年生でモデルを休止していた熊倉さんですが、大学生になると再びモデルの世界へ。このとき、どんな思いがあったのでしょうか?

熊倉さん:
大学一年生の時、モデル活動を再開しました。このときの活動はショーのモデルとして、です。中学生の時は、親の意思もあってモデルをしていましたが、大学生になるとそれが自分の強い意思に変わりました。

ファッションも大好きでしたね。当時は田中久美子さん、宮本はるえさんといった人気モデルに憧れて、お二人のようになりたい!と思っていました。そして、大学1年生のとき、初めてパリコレのモデルに起用されました。ブランドはジョゼ レヴィ ア パリ

こちらは青山学院大学時代のもの。大学のミスコンではウエディングドレスを着用しました。こちらは青山学院大学時代のもの。大学のミスコンではウエディングドレスを着用しました。

これがパリコレのモデルとしてランウェイに登場したときの一コマ。

もともとファッションは好きでしたが、このときファッションに衝撃を受けて、一生この世界に関わりたいと感じたのです。そのために真っ先に考えたのは「英語が出来なくては!」ということ。
このころの私は英語が苦手で、パリコレのときに通訳の方を付けてもらっていましたが、あまり会話が理解できませんでした。そこで大学2年生の前期で休学してロサンゼルスへ。両親は留学に猛反対でしたが、父親の仕事の関連会社のあるロサンゼルスならまだ安心となんとか承諾してくれました。

UCLAで学んだことが今の仕事にもプラスに

熊倉さん:
留学先はUCLAです。まず付属の語学学校に通い、英語を学びました。とにかく、このときが人生で一番勉強した時間だったと思っています(笑)。

UCLAではコミュニケーションスタディ、ノンバーバルコミュニケーションを専攻。これはコミュニケーションについての勉強ですが、目線や仕草なども含め、人の気持ちを理解し上手く交流を図るためのものです。ジェスチャーなども学びました。これによって相手に心を開いてもらえるにはどうすればよいかが分かったのです。いまのPRの仕事にはコミュニケーション能力が欠かせないので、この課目を勉強しておいてよかったですね。

パリだけではなく、東京コレクションでもモデルとして起用されたそうです。

ついにファッション業界へ!

帰国後、青山学院に復学し卒業した熊倉さんはファッション企業への就職を勝ちとります。そこで出会ったプレスというお仕事についても聞いてみました。

熊倉さん:
大学卒業後、ファッション専門の輸入商社3社を受験しました。そのうち内定をもらった一社に就職することに。最初に関わったのはイタリアのラグジュアリーブランドでその直営店の営業アシスタントになったのです。

当時は活躍していた営業の女性みたいになりたかったのですが、入社1年目の3月にプレスへの異動を命じられました。このとき、プレスのお仕事についてはなにも解らない状態。同じ会社でもプレスは壁の向こうでしたから、何をしているのかも見えません。また、営業とは違う威圧感のような空気もありました。当初、プレスは華やかな仕事かなと想像していましたが、実はその90%は地味な仕事なんです。

留学から帰国後、青山学院大学を卒業。そのあと最初に入社したファッション輸入商社時代のお写真。

たとえば、自分が担当するブランドや商品の知識を蓄えて、関係者に配る資料を作るのもひとつ。これはきれいな花を咲かせるための下準備なんですね。その下準備ののちブランドが表に出たときの充実感は、何物にも代えられません。自分の担当したブランドが雑誌の表紙に掲載された時は、飛び上がるくらい嬉しかったのを今でも覚えています。プレスはがんばった結果が見えるお仕事なんです。

マッシュのワンポイント
プレスは(主にファッション誌スタッフなどの)関係者にブランドの魅力、正確な情報を伝え、メディアへの露出を促す職種です。その仕事内容は撮影用に貸し出すサンプルの管理、PRのためのイベントの企画運営、ショーの手配など多岐にわたります。海外のブランドの場合は、コレクションを発表する時期になると現地へ飛び、ショーの運営のほかメディア関係者のサポートも行います。プレスはファッション企業が自社内に専門部署を設けるほか、熊倉さんの運営するリエートのようなプレス・PR専門の企業に委託する場合があります。

プレスのお仕事はこんなに魅力的です!

熊倉さん:
メンズ、レディス、カジュアル、ラグジュアリー、雑貨などこれまでにいろんなブランドに関わってきました。普通のブランドでは知り合えないくらい、多くの人に出会って、その出会いがいまの私の仕事を支えてくれています。様々な人に出会うことで、その人たちを通して知らない世界が見えてきます。デザイナーや、それに近い立場の人たちと仕事をすることも珍しくありません。海外のデザイナーと電話やメールだけではなく京都へご案内したこともありました。
そのブランドが、私の勤めていた会社との契約を終了したとき、すでに独立していた私に「プレスを引き受けてほしい」と依頼を受けたことも。このようにプレスは会社と会社ではなく、人間関係の上に成り立っている仕事とも言えるでしょう。

商社勤務では29歳でマネージャーに就任。海外のコレクションのときには現地へ行かせてもらいました。こうした人間関係形成のチャンスを与えてもらったことは今でも感謝しています。同じ年齢でも、ほかの会社ではこれだけのことはなかなか任せてもらえなかったでしょう。2011年1月に現在の会社リエートを、同い年の仲間と二人で立ち上げました。

起業後、備品を買ったり、健康診断や保険の手配をしたりと当たり前のことも、いままでと違って自分でしなくてはいけません。独立して初めて、いかに会社に守られていたのかと感じますね(笑)。

もし、プレス職を目指すなら大切なのは心の扉を広く開けておくことです。「こうじゃなくてはいけない」と思い込まず、柔軟性と創造力を持ち続けることが非常に重要。凝り固まらずにいろんなことにトライして、いろんな人と会える場所へ出かけて。コミュニケーションの方法もいろいろと試してみてください。
いまはスマホでなんでも分かる時代ですが、コミュニケーションにはもっと違った選択肢もあります。私はプレスになりたいと思って、今の仕事を始めたわけではありませんが、結果的には向いていたし、天職だったと思っています。

表参道・原宿の魅力について

熊倉さん:
ここは思い出と未来が共存する、非常に夢のあるエリアです。私は東京のファッションの中心は表参道だと思っています。

外国からのファッション関係者を案内するときも彼らは必ず、表参道を見たいと言います。ファッションの夢があって、昔から知っている場所でもある。これからも私はこのエリアとずっと関わっていきます。

表参道交差点「表参道で一番好きな場所は表参道の交差点です。そこに何があるわけではないのですが、わたしにとって表参道のシンボルと言えばあの交差点で、入り口でも出口でもある場所だと思っています」と熊倉さん。



いつも和やかで優しい人柄の熊倉さん。その背景には勉強熱心な性格や、ファッションへの情熱、豊かな人生経験があったんですね。ファッション関係者からの信頼が厚いのも、納得です!
今回の取材では、女性がアクティブに働けるファッション業界の魅力が彼女の活躍から伝わってきました。これからも応援しています!


たぬプロフィール

たぬスタンプ

  • キャラクター・スタッフ紹介
  • ももんずさんどうぃっち

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