第14回 国立代々木競技場
今回は、日本を代表する現代建築。20世紀を代表する世紀の建築でございます。表参道の西の端を締めくくる所に、実はとてつもない建造物が建ってます。「国立屋内総合競技場」、「代々木オリンピックプール」、「代々木競技場」、等々いろいろな呼び名を持つ、丹下健三設計の「国立代々木競技場」です。
1960年代(アナタが未だ生まれてないとき)、戦後と言う言葉通りの東京に、オリンピックの開催が決まったのだ。日本の経済は非常なスピードで成長し、世界に日本をアピールする絶好のチャンスだった。そう、ついこの間の中国の北京オリンピックみたいなもんですね。東大の丹下健三と坪井善勝(構造設計者)が手を組んで、とんでもない物を設計し、創ってしまった。40代の丹下を支えたのは、20代の若き革命的建築家たちと構造設計者たちだった。
世界に類のないサスペンション構造の建築を創り出した。世の中に存在しない、どこかのマネをすることは一切許されない、オリジナリティー溢れる革新的な建築物だ。15,000人を収容する競技場内 には屋根を支える柱は一本もないのだ。そんなスゲー建物が、表参道にある。「国立代々木競技場」だ。既に、築45年ではあるが、メンテナンスも行き届き、未だに光り輝いている。
意匠設計を担当した丹下さんは2005年91歳でなくなっているが、国立代々木競技場は未だに生き続けている。競技場は、いつか必ずや寿命を迎えるが、丹下さんの設計した建物以上の物に取って代わる事ができるのか、・・・、どうなんだろう。私、モコモコ博士が死んだ後に解答が出る。
自然界にも先ず存在し得ない雄大な形態は、人智の結晶であり、日本の建築技術を全世界に十分アピールした。日本の丹下は「世界のタンゲ」になった。ケーブルを用いた吊り構造の建築は、世界に先例のないものだった。日本の伝統建築を踏まえ、未来を見据え、日本独自の現代建築は、いかにあるべきかを世に問う、大見得を切れる作品と言える。
東京オリンピック前、ここはワシントン・ハイツと呼ばれ、米軍が駐留していた。広大な敷地には、一千世帯近いアメリカ軍家族宿舎や共有施設として、将校クラブ、劇場、教会なんかがあったらしい。アメリカっていう国はね、世界中どこでも自分たちの軍隊のための施設を作るのね、今でも。サウジアラビアの米軍基地に入ったことあるけど、アメリカの田舎町と何ら代わらなくて、ホント、ビックリしたことがある。そんな空間があそこにはあったのよ。日本人は立ち入り禁止地域だったのね。
表参道のキディランドは米軍家族を相手にオモチャを売っていた所で、表参道自体がワシントン・ハイツの米国人を相手にする、異国情緒を醸し出す街だったのね。そして、今の表参道の人気に繋がってるんだからね。ワシントン・ハイツがなかったら表参道は単なる明治神宮の参道でしかないんだから。
代々木上原で育った私は、子どもの頃、ここの金網を破って芝生の別天地に進入し、白いヘルメットにMPとあった兵士に追いかけられ、その肩から下げたライフルで確実に殺されると思い、泣く間もなく、血相を変えながら必死に逃げた記憶がありますね。東京オリンピックを機にここの宿舎が選手村となり、この競技場と今の代々木公園との間に4車線の道路が引かれたのよ。私が子どもの頃、道作ってたもん。現在は、この一角にはNHKなんかも建っているけど、都心にあっても、空が大きいところで表参道から原宿駅の向こう渋谷側は商業施設もなく公園なんかが広がってるのはそのためなんだからね。
話戻して、代々木の競技場は、総合意匠・丹下健三、構造設計・坪井善勝、設備設計・井上宇市、の日本建築界のそれぞれを代表する三氏によって設計されたのね。スタッフの平均年令は20代だった、って聞いたことがありますけどね。コンピュータもない時代に、良くやったよ、ほんと、感心しちゃう。建設工事期間はわずかに1年半だったみたいね。当時、私は小学生でしょ、オリンピックの年は中学生だったけど。
オリンピックの翌年の夏には「こどもプール」がオープンして、私も自転車で何度か行ったことがありましたね。「家族が一緒にスポーツを楽しむ、レクリエーションの場」としてのスポーツ振興策が実施されるようになって、今では、第二の方ではプロレスの会場によく使われてるみたいね。 第一の方ではコンサートなんかもあるみたいだけど、音はきっと、武道館と同じように悪いと思う。
今だに、外観の構造美やエントランスから内部競技場へいたるアプローチに秀逸を感じますね。やっぱ、美しいですよ。あんな格好の建物、未だに普通の建築家じゃできないですね。人の流れをスムースにする巴型の平面計画とサスペンション(吊り)構造による、吊られた屋根の大空間構成は、どこか伝統的な、構造体をそのまま見せるという、日本美を醸し出してるような気がしないでもない。それらを可能にした構造技術者の英知、現場の職人の手腕なんかは凄い物があると思う。当初は、換気だけで涼を得るための大型ノズルなんかも意匠的に美しいと思いますモンね。今は冷房設備が入っているらしいけど。
横方向の最大スパン(柱と柱の距離をスパンと言う)は120m、で、縦方向スパン44m、とかなり巨大ですからね。その中に柱がないんですよ、これは建築的には大変な事なんだから。メインケーブルの最高点は地上27.5m。屋根はメインケーブルから競技場外周にかけて走る多数の吊り材で形成され、緊張するワイヤーロープが織りなす、流れるような曲面が壮大で流麗な、内外の空間をつくりだしているんですね。
設計者・丹下さんにとっても、日本にとっても、時代にとっても、モニュメンタルな建築です。それが表参道にあるんです。ブランド物のバッグを買ったついでに見に行くだけじゃ、ちょっとかわいそうな気がする、くらいにスゲー建物っす。
以上です。