歴史ぶらり旅
2011.12.05

第4回「かつての 渋谷川 の流れを辿ってみた~渋谷駅から表参道編~」

 かつて、渋谷の地を流れていた渋谷川。昭和39(1964)年の東京オリンピックを目前に控えた昭和30年代終盤、その上流部分はフタをされて「暗渠(あんきょ)」となりました。暗渠とは、地表から見えない川のこと。そのほとんどが、いまは下水道として使われています。
 渋谷川のかつての流れを辿る旅の第一弾は、渋谷駅周辺の川の流れを見て回りました。今回の第二弾は前回の続き、渋谷駅の北側から始めます。
 なお、「渋谷川についてもう少し詳しく知りたい」という方は、前々回の記事もぜひあわせてどうぞ。

渋谷駅北側~宮下公園

 東京百貨店東横店東館は、渋谷駅の北に接しています。東館の北面を背にして北を向いて立つと、その足元にはかつて渋谷川が流れ、目の前には橋が架かっていました。その名も、宮益坂の下にあるから「宮益橋」です。この辺りについては、前回の記事で詳しく触れているので、ぜひあわせてご覧ください。

いま、その同じ場所からは、ビルとビルの間の微妙な隙間を見ることができます。まさしくその隙間を、渋谷川がかつて流れていました(写真右) 。

 いざ、その隙間を目指してみると、あいにく何やら工事中(写真右)。残念に思っていると、工事中ならではの発見がありました。
 この工事、東京都下水道局が発注して下水道管を補修しているとのこと(写真下左)。渋谷川が暗渠化されて下水道になったという話とつながります。そして、工事現場を仕切る衝立には、かつての渋谷川を写した写真が紹介されていました。かつての渋谷川が多くの水をたたえ、人々の生活のすぐ近くにあったことを、この写真から窺うことができます(写真下中・右)。当時の渋谷の空の何と広いこと。視界を遮る高い建物が何もありません。

 工事現場の脇を抜けると、宮下公園の手前から脇にかけて、自転車とバイクの駐輪場が細長く続いています(写真右)。渋谷区が管理する、「宮下公園自転車等駐車場」、「渋谷駅ハチ公口自転車等駐車場」、「宮下公園第二自動二輪車等駐車場」です。自転車なら2時間無料、100円でその後12時間(24時間だったかも)停められます。東京に住んでいたときは、よくここに自転車を停めていました。人気のようで混んでいるのが難点ですが、便がいいので重宝します。
 駐輪場の一角に、ここがかつての渋谷川であることを示す立て看板がありました(写真下)。説明文には、「清らかな水が流れていたころには、鮎(あゆ)や鰻(うなぎ)などもとれ」たとあります。いやはや、驚きですね。

宮下公園と下水道

 渋谷川遊歩道は、宮下公園交差点付近で明治通りに合流します。明治通りを挟んで右斜め前方には、キャットストリートの入り口が見えてきました(写真右)。渋谷川は、明治通りを横切って流れています。
 ところで、ここまで「渋谷川」「下水道」という言葉を使ってきましたが、厳密に言うと、ここまでの使い方は正確ではありません。

前回の記事でも書いたように、行政区分上の「渋谷川」は、かつての宮益橋より下流の部分を指します。つまり、東急百貨店東横店東館より南が正式な「渋谷川」です。旧・宮益橋から渋谷駅の南の稲荷橋までは地上からは見えない暗渠ですが、下水道ではなくて、立派な「河川」なんです。
 そして、ここからがもう一つややこしいところですが、それなら旧・宮益橋より上流は「下水道」かというと、必ずしもそうではありません。確かに、ここ宮下公園交差点付近より上流は「下水道」として使われていますが、宮下公園交差点から旧・宮益橋までの間は、「河川」でも「下水道」でもないのです。
 相当にややこしいので、ここからは地図を使って説明しましょう。


より大きな地図で 渋谷川と下水道 を表示

 宮下公園交差点から明治通りを越えて、キャットストリートを渋谷高、表参道へと続く上流の青い部分が、下水道として使われているかつての渋谷川です。その先には上流部分が続きますが、この地図では省略しています。そして、地図上の黄色い部分、地上に顔を出した渋谷川の手前を、渋谷駅をかすめるように流れているのが、河川なのに暗渠、もしくは暗渠なのに河川なところです。問題は、その間の赤い部分、宮下公園交差点から旧・宮益橋までの流路です。


 その答えを導く鍵は、地図上に灰色で示した線が握っています。これは、明治通りの地下を流れる下水道の幹線です。宮下公園交差点付近で、かつての渋谷川の上流を流れてきた下水道の流れを引き継ぎ、東京湾岸の芝浦水再生センターまで続いています。そのため、地図上の赤い部分には、普段は水が流れません。大雨が降ったときなど、下水が溢れたときだけ、赤い部分に水が流れるようになっています。これを「雨水渠(うすいきょ)」と言います。右の写真は、かつての渋谷川の下水道が、下水道の幹線と雨水渠に分岐する地点の周辺を映しています。左手に見える明治通りの地下を下水道幹線が走り、右斜め前方の渋谷川遊歩道の地下に雨水渠が流れ込んでいきます。
 旧・宮益橋から始まる正式な「渋谷川」に水量が少ないのは、「雨水渠」の先につながっているからです。前回見たように、渋谷駅南の稲荷橋から地上に顔を出す渋谷川の水量が少ないのも、そのためです。
「下水道」を水が潤沢に流れ、「川」に水が少ない。何ともややこしい限りです。ちなみに、かつての渋谷川上流部の下水道と雨水渠は、東京都下水道局が管理しています。一方、旧・宮益橋から始まる正式な「渋谷川」は東京都建設局の所管です。

キャットストリート

 こんがらがった頭をいったん整理して、旅に戻りましょう。
 宮下公園交差点で明治通りを渡ると、キャットストリートの入り口に、「みやしたはし」の文字を記した柱が立っています。かつてここには、「宮下橋」がありました。この近くに、皇族の「梨本宮」の邸宅があり、「宮」の「下」で「宮下」という地名で呼ばれるようになりました。
 キャットストリートの入り口に、一際派手な建物があります。看板には、「PINK DRAGON」の文字があります。前々回の記事で、キャットストリートの名前の由来の説の一つとして紹介したお店です。店の看板をよく見ると、あちこちに「CAT STREET」の表記があります。(写真下)

「これは!」と思ってお店の中に入り、店員さんに話を聞いてみると、見るからにロックンロールな髪型、出で立ちをした若者(推定22歳)が、「社長が“キャットストリート”ってつけたって聞いてます」と、実に爽やかに物腰柔らかに答えてくれました。事前に仕入れていた以上の情報は得られなかったものの、可愛げなロックンローラーを見て、何だか嬉しい気分になったのでした。

 さらに進むと、「なかよし橋」に辿り着きます。かつての橋の敷石を使っているので、往時の雰囲気が感じられます(写真下左)。「なかよし橋」の向こうには、道の真ん中に緑色で仕切られた一帯があり、ブランコやらジャングルジムやら滑り台やらが備え付けられています(写真下右)。この一帯は、文字通り渋谷川にフタをしたところです。かつての川幅をここから見てとることができます。

「なかよし橋」の先には「八千代橋」が見えてきます。ここも「なかよし橋」と同じく、かつての橋の敷石が残されています。ここには、実はもう一つ、正確には二つ、当時のものが残されています。それが、東京府のマンホールです。右から読んで「消火用吸水孔」です。摩耗して見づらいですが、マークは「東京」の「東」の字をモチーフにデザインされています。このマンホールが、八千代橋に二つ残っています。

 ちなみに、「東京府」は「東京都」の前身です。戦時体制の昭和18(1943)年、東京府と東京市を一体化する形で東京都が生まれました。「大阪都」を作る動きもこれに倣ってのことです。
 ついでにもう一つちなむと、マンホールは日本語に訳すと「人孔(じんこう)」と言います。さしずめ、「人が掘った孔(あな)」、「人が入るための孔」ということなのでしょうが、改めて日本語を見てみると、新鮮な発見をしたような気分になりました。

「八千代橋」から上流方向に少し行ったところには、かつて水車がありました。「鶴田の水車」と呼ばれるこの水車は、米つきや糸より、銅板を伸ばすための動力として使われていました(写真右の辺り)。

「鶴田の水車」があった辺りから上流方向を見ると、道が二股に分かれています(写真上)。う~ん、どちらも川っぽい。むしろ、キャットストリートから外れる左手の道の方が、川の名残りを感じさせます。それもそのはず、左手の道こそが、蛇行の激しい渋谷川にあって、昭和初期まで渋谷川の流路だったのです。昭和初期に流路が改修され、いまのキャットストリートが渋谷川の本流となりました。

 二股に分かれた道の右手のキャットストリートを行くと、ちょっと不思議な光景が目に飛び込んできます。家が、通りに対して背を向けています(写真)。これも、この道が川であったことの名残り。川に玄関を向けるわけにはいかず、川に背を向けて家を建てたら、いつの間にか川が道になってしまったというわけです(写真上)。

 さらに行くと、「おんでんばし」と記された柱石が見えてきます。ここには「穏田橋」がありました(写真下)。

「穏田」とは、この辺りの古い地名です。「原宿」と同じくらい歴史ある地名ですが、「原宿」が山手線の駅名になって広く知られているのに対して、「穏田」は知る人ぞ知る旧地名となってしまいました。
 なお、キャットストリート沿いの「鶴田の水車」の近くには、「穏田神社」がいまも地域の鎮守の神様として祀られています。また、「原宿」、「穏田」ともに、行政上の地名からは姿を消し、このあたりの正式な町名は「神宮前」となっていますが、住人は旧町名を愛し、いまも町会には「原宿」、「穏田」の名を残しています。

「穏田橋」の脇には、キャットストリートを逸れるごく細い道があります(写真下左)。これも、先ほどの二股の道と同様、細い道が改修前の本来の流路です。「穏田橋」でキャットストリートを逸れた道が再びキャットストリートに合流する地点には、「境橋」がありました(写真下中は境橋よりやや北の部分)。そこから表参道を目指すと、そこには「参道橋」の柱石が残っています。ここでいったん休憩して写真をパチリ(写真下右)。
 次回は、ここ「参道橋」から始めます。

 最後に、今回取り上げたポイントを地図に落としてみました。リンクを辿った先では、地点の名称も確認することができます。復習がてら、ご覧くださいませ。


より大きな地図で 渋谷川を辿ってみた~宮益橋から参道橋~ を表示

参考文献
『「春の小川」はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史』(田原光泰・著、之潮(コレジオ))
『「春の小川」の流れた街・渋谷――川が映し出す地域史――』(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館)
『川跡から辿る 江戸・東京案内』(菅原健二・編著、洋泉社)
『渋谷の水車業史』(東京都渋谷区教育委委員会)
『渋谷の橋』(東京都渋谷区教育委委員会)

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