表参道 歴史にゃんぽ
2024.02.01

金王八幡宮(1)~なんと渋谷にお城があった!編~

今や空前のお城ブーム。雲の上に浮かび上がる姿が幻想的な“天空の城・竹田城”(兵庫県)は、あまりの人気に入場規制になったほど。
東京にも江戸城(現在の皇居、元は徳川幕府の本拠地)、八王子城(北条氏の居城、豊臣秀吉軍に攻められ落城)、石神井城(現在の練馬区石神井公園、豊島氏の居城だったが、太田道灌に攻められ落城)などがありますが、なんと渋谷駅から徒歩5分のところにも、『渋谷城』がありました。

平安時代末期から鎌倉時代にかけて、金王八幡宮を中心とした渋谷警察署、ヒカリエ、クロスタワーを含めた一帯に、渋谷城というお城があったのです!

こちらが『金王八幡宮』ですこちらが『金王八幡宮』です。

渋谷城と金王八幡宮

渋谷城は、現在の渋谷一帯を領した渋谷氏の居城で、金王八幡宮は、その渋谷城の中にあった神社でした。
その後、渋谷城は無くなりましたが神社は残り、今に伝わっているというわけです。

特に江戸時代は、八幡神を篤く信仰する徳川将軍家の治世であったことから、金王八幡宮は江戸中から参拝者が集まる名所となりました。

現在のご社殿は、三代将軍・家光の乳母・春日局と、守役の青山伯耆守忠俊が寄進して造営されたもので、江戸初期の様式を現在に伝える貴重な建築物でもあります。

金王八幡宮マップ
渋谷駅 渋谷城は渋谷川を天然の堀としていたと考えられています。現在の渋谷駅周辺も渋谷城に隣接していました。(画像は2022年のもの)
渋谷川
お話を伺った神職の田所克敏様です。お話を伺った神職の田所克敏様です。

渋谷氏と渋谷城の由来 何代にも渡って活躍し、渋谷氏になった!

渋谷城の城主・渋谷氏については、諸説あるようですが、元は桓武天皇を祖とする秩父平家の出身でした。
秩父平氏の当主・平武基は、『平忠常の乱』(1028年)で活躍し、見事に乱を平定します。武基は「これは武運の神、八幡大菩薩のお陰である」として、秩父の妙見山(武甲山とも?)に八幡宮を崇め奉りました。
そして平武基の子、平武綱も『後三年の役』(1087年)で活躍しました。その武功により、武綱は源義家(通称・八幡太郎、源頼朝や足利尊氏の祖先)から『河崎土佐守基家』という名と、武蔵谷盛庄(現在の渋谷区一帯)を賜ります。
そして源義家は基家に、「この勝利は河崎土佐守基家が信奉する八幡神のご加護である」として、秩父妙見山にあった八幡宮を渋谷に勧請するように勧めました。
そして河崎土佐守基家の子の河崎重家も、禁裡(天皇のお住まい。現在の京都御所)で賊を退治するという大手柄をたてます。その功績により重家は、堀河天皇から『渋谷』の姓を賜ります。

こうして渋谷氏が誕生し、渋谷氏は八幡宮を中心に館を構えてここを居城とし、これが渋谷城となったのです。

金王八幡宮の宝物殿には、都内最古、鎌倉時代のお神輿が!(向かって左)金王八幡宮の宝物殿には、都内最古、鎌倉時代のお神輿が!(向かって左)
月の旗(旧御神体の模倣)八幡宮のご神体の『月の旗』が、今も本殿の下に埋められているそうです。(写真は写真は月の旗の模倣) 

『金王八幡宮』の社名の由来

その後も渋谷氏の活躍は続きます。土佐坊昌俊(とさのぼう・しょうしゅん、永治元年1141年? – 文治元年1185年)は源平合戦に於いて、大変大きな武功をおさめました。
土佐坊昌俊は渋谷平三重家の子で、永治元年1141年末8月15日に生まれた渋谷金王丸常光(しぶやこんのうまるつねみつ)と同一人物とも言われています。
人々の畏敬の念を集めた土佐坊昌俊の名声により、それまで『八幡宮』『渋谷八幡宮』と呼ばれていた神社は、昌俊の幼名・金王丸から『金王八幡宮』と称されるようになりました。

渋谷氏は、武蔵谷盛庄七郷(渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井など)を領地としていたので、『金王八幡宮』は今も、八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り 宮益坂 道玄坂(旧大山街道)を中心とする、渋谷、青山の總鎮守として崇められています。

渋谷や表参道の学校に通う方、会社で働いている方、そして渋谷でよく遊ぶ方……学業成就、商売繁盛、交通安全、子孫繁栄、そして立身出世など、『金王八幡宮』にお参りに行くと、良いことがあるかもしれないですよ!

現在の渋谷氏、第35代ご当主の方は、一子相伝の『渋谷流弓術』を継承し、各地の神事でご披露されるなどのご活躍を続けているそうです。

渋谷城、砦の石渋谷城、砦の石。
『金光八幡宮』の神門;『金光八幡宮』の神門。

ところで『八幡さま』とは?

全国には『八幡宮』『八幡神社』『八幡社』『八幡さま』と呼ばれる神社が4万4千もあります。千葉県市川市の『本八幡』、東京都世田谷区の『八幡山』などの地名も、八幡信仰に関わる場所です。

八幡さまは、第15代天皇・応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)、応神天皇の御母・神功皇后(じんぐうこうごう)をはじめとする神様をお祀りしています。 総本山は大分県の宇佐神宮(神亀2年・725年創建)。京都の石清水八幡宮、鎌倉の鶴岡八幡宮が特に有名です。石清水八幡宮では源義家が元服して『八幡太郎』と称し、源氏の氏神様として篤い崇敬を受けました。源頼朝によって鎌倉幕府が開かれると、鶴岡八幡宮の信仰も高まりました。

源氏のみならず、武家の守護神、武運の神『弓矢八幡』として、平清盛、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康など、多くの武将に崇敬されました。

関連リンク
神社庁
八幡総本社 宇佐神宮

ついでに、『お賽銭』ミニ知識

ところで神社にお参りに行くとお賽銭を上げますが、よく聞かれるのが「ご縁がありますように」という意味を込めて“5円”を入れる、という方法。しかしこれは“5円”が今より価値の高かった明治時代頃のお話で、平成の現代では「大きな効果がありますように」という意味を込めて、大きな“硬貨“、つまり500円玉を上げるのが良いそうですよ!

渋谷センター街も、氏上様の『金光八幡宮』がお守りしています。渋谷センター街も、氏上様の『金光八幡宮』がお守りしています。
茅の輪をくぐって厄除けを茅の輪をくぐって厄除けを。

※次回は渋谷のスーパーヒーロー、『金王八幡宮』の社名にもなった『渋谷金王丸』(土佐坊昌俊)の活躍について、ご紹介したいと思っているにゃん!

文:重久 直子

金王八幡宮
【アクセス】
JR線、東急東横線、各東京メトロ線 渋谷駅(東口)より徒歩5分

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