マッシュのオモハラおしゃれ散歩
2015.01.23

ファッション業界人が語る“私と原宿・表参道”(4)森岡 弘さん

原宿・表参道と切っても切り離せないのがファッションです。そこで、このコーナーでは、この地域を舞台に活躍するファッション業界関係者にスポットを当て、街の魅力や思い出を語っていただきマッシュ!

今回のゲストは、ファッション雑誌、広告、ブランドプロデュースと幅広く活躍するファッションディレクター&スタイリストの森岡 弘さんです。

森岡 弘 さん/ファッションディレクター&スタイリスト

森岡 弘さん森岡 弘さん

森岡 弘さん(ファッションディレクター&スタイリスト)
早稲田大学在学中より、株式会社婦人画報社(現ハースト婦人画報社)にて編集業務にかかわる。同大学卒業後、同社に正社員として入社し、男性ファッション誌[メンズクラブ]編集部にてファッションエディターとして従事。10年間勤務した株式会社婦人画報社を退社後、クリエイティブオフィス『株式会社グローブ』を設立する。
現在ではファッションを中心に活動の幅を広げ、俳優、芸能人、ダンサー、ミュージシャン、スポーツ選手、アーティスト、政治家、企業家のスタイリング。イベントのコスチューム、企業のユニフォームデザイン。アパレルブランドやライフスタイルブランドのコンサルディング、及び広告ビジュアルやカタログ制作のファッションディレクション、スタイリングを手がける。
2010年より読売新聞(朝刊)にて日常の着こなしをスタイリッシュにする「きれい」を連載中。2013年10月からNHKラジオ第一「午後のまりやーじゅ」番組のコーナー〝午後まり・10ミニッツ〟に月1回のレギュラー出演し。ファッショントークを行なう。


ファッションではなく、野球に明け暮れた学生時代

ファッション誌の編集者を経て、スタイリストとなり、その活躍が多岐にわたる森岡 弘さん。いまや、新聞での連載、NHKのテレビやラジオ出演を通じて、業界関係者のみならず、多くの人にもその名を知られています。さて、そんな森岡さんですが、青春時代のお話を伺うと、意外なお話が飛び出しました。

森岡さん:
実は中学時代から、ずっと野球一筋で、学生時代はいつもジャージ、ユニフォーム、制服のどれかしか着ていませんでした。
ファッションは好きでしたから、ファッション誌を読んではいましたけれど、生活の中心はあくまで野球。後から父に聞かされましたが、高校生のときにプロ野球のスカウトもきていました。が、父はその話を当時の私に言うと、学業がおろそかになると思い、あえて黙っていたそうです。
その後、 同志社大学に野球進学の話もあったのですが、それを見送りました。高校卒業前に、中学の野球部時代に一年先輩だった岡田彰布さんに「早稲田に来いよ」といわれ、大学野球の早法戦を観戦しに行ったのです。そのとき、神宮球場で江川卓さんが投げていて、球場は甲子園のように実に華やか。それを見て東京に出ていきたくなり、結果、二浪をすることになりましたが、早稲田大学に進んだわけです。

野球から思いがけず、ファッションの世界へ

野球少年だった森岡さんが、どのようにファッションの世界に飛び込んだのかが気になるところです。そのいきさつについても、伺ってみました。

森岡さん:
そうして早稲田で大学野球を始めますが、途中で肩を壊して野球を断念せざるをえなくなりました。私にとってはこの時のことが、いまでも人生最大の後悔です。
それまで野球一筋でしたから、プロの野球選手になるという目標がなくなったら、本当に何をしていいかもわかりません。早稲田で野球がやりたくて、早稲田以外は受験せず二年浪人をしていますから、サラリーマンになって二歳年下の人と同期として働くのはイヤでした。そこで、手に職を付けようと思って、鍼灸師になるべく夜間は専門学校に通うことに。

そんなとき、知り合いを通じて出版社の婦人画報社(現在のハースト婦人画報社)で勤めている方がプライベートで持っている草野球チームで、メンバーを募集しているのでどうか?という誘いがあったのです。
ひとまず、一度だけ、助っ人として参加したところ、監督から「ぜひチームに入ってほしい!」と言われました。当初は気が進まず、お断りしていましたが、何度もご飯やお酒をご馳走になっているうちに、入団を断れなくなりまして(笑)。と、同時に婦人画報社の「ビューティー」 (※現在は廃刊)という業界誌の編集部にアルバイトでお手伝いをするようになりました。

そうこうしているうちに大学の卒業時期になり、婦人画報社の先輩に「社会経験として就職活動はしたほうがいい」とアドバイスを受けました。それが秋のこと。
その当時、秋に就職の応募を受け付けているのはマスコミくらいしかありません。そこで先輩が薦めるまま婦人画報社に履歴書を出すことなります。実は本心では入社したいとも思っていないし、選考から落ちたいくらいの心境でした。

就職試験のときの自分の服装を、今でもよく覚えています。
みんなはネイビースーツ一辺倒でしたが、自分だけがポール・スチュアートのネイビーの金の6ボタンダブルのブレザー、グレーのフレアパンツ、白シャツにストライプのネクタイ、サイドゴアブーツで試験に行きました。
ネイビースーツは買いには行ったのですが、今後はもう着ることはないだろうと思い、急遽ブレザーに変更したんですね。この格好は当時六本木にあった人気ディスコ、マジックの店員と同じでした(笑)。
しかも当時の私は、長髪で日焼けをして顔はまっ黒。
大学2年生の時に、簡単に単位が取れるということで受けたスキー授業で、野球にはない爽快感やスリルにはまりました。3年生からはスキー授業でインストラクターの手伝いをすると、宿泊や食事やリフトはただ。しかもバイト代までもらえるということで、3~4年生の間は冬山にこもりっきりだったのです(笑)。

こんな容姿だったにもかかわらず、当時の婦人画報社の社長は早稲田実業出身で野球をしていた人だったので「うちで野球やるか?」と言われ、入社することになります。
入社して野球部に所属をするのかと思ったら、どういうわけか野球部がなかった(笑)。これにはびっくりしましたね。

配属はメンズクラブ編集部を希望しますが、「そりゃ無理だ!」と社長は一蹴。
販売部に仮配属され、書店営業や返本倉庫での作業、その後広告部などを経験。その一方で、まだ鍼灸師の道もあきらめきれず、会社を辞めたかったのですが、頑固な父から「3年は絶対にやめるな」と言われていました。すると、3年目にメンズクラブ編集部に異動の辞令が出たのです。

大阪の明星高校で野球に明け暮れていた森岡さん。左から2番目が森岡さんです。

メンズクラブ編集部で考えが一変

森岡さん:
メンズクラブでは、ネクタイを締めずに楽しく仕事ができるかなと思っていたら、これが想像以上に忙しいんです。
当時の編集部には、口の聞き方を知らない若い部員がたくさんいて、野球部出身の私にはそれが鼻につきました。反面、自分は仕事ができないことも痛感していました。
このころから今まで野球の世界では当然だった「先輩と後輩の関係」つまり年齢の壁が次第になくなっていきました。それから実力があれば年下の人でも、認めるべき点は素直に認められるようになれたと思います。

配属後、5年目くらいから、自分の思いがトラッド色の強かったメンズクラブの誌面作りからずれ始め、退社を考えはじめます。ですが、周囲に迷惑を掛けたくないと思うとなかなかタイミングが見つかりません。
結局、9年近く在籍したのち、着物の専門誌「美しいキモノ」編集部に異動の辞令が出たので、一冊だけ参加して退社しました。
そのとき、フォトグラファーの秦 淳司さん、赤尾昌則さんたちと仕事をして、物議をかもすような企画を作っています。着物を着た人が地べたに座ったり、桶の中に入ったり、桶を被ったり!いまでも、それは着物の世界ではありえない伝説の企画として、強烈に覚えている関係者が多いようです(笑)。

竹野内豊さんのスタイリングを担当

森岡さん:
メンズクラブ編集部にいたとき、モデルとして、私が起用した人の中に、竹野内豊君、沢村一樹君がいました。私が婦人画報社を退社するときに、竹野内君はちょうどドラマ「ロングバケーション」で日本中に知られ始めたころ。ドラマの衣装の相談を受けたりしていたこともあって、私は彼と仕事をすることになったのです。
カレンダータイプの写真集「in the door」から、本格的に彼のスタイリングを手掛け、テレビドラマ「続・星の金貨」にも参加しました。しかし、「続・星の金貨」の10話くらいのところで、私は病気で倒れてしまったのです。

病名は急性骨髄性白血病。ベッドの上で妻に指示を出して代わりに動いてもらいながら、なんとか最終回(12話)までの仕事を終えました。
このころ、子供が一歳になるかならないかで、なにもかも不安でした。そして、3年間、病院での闘病の末、復帰することができたのです。退院してから、Pen、エスクァイアなどの雑誌を皮切りに、広告などを手掛け、いまの仕事のスタイルになっています。

原宿、表参道の思い出について

森岡さん:
強く覚えているのは、受験で大阪から上京した時のことです。一緒に来た友達が試験を受けている間、原宿をぶらぶらしていて、生まれて初めてピザを食べたのです。場所はポール・スチュアートのお店のそばにあった喫茶店。恥ずかしながら、当時、ピザを知りませんでした(笑)。原宿、表参道は、とにかくキラキラした街という印象でしたね。

いまでこそ、ファッションブランドのオフィスの多い青山・表参道ですが、実はメンズクラブに在籍した当初は、訪れる機会が少なかったのです。というのも、ショップは多いものの、アパレルメーカーのオフィスやショールームはこの周辺には、あまりなかったものですから。
ショップで撮影用の商品をお借りすることもできますが、当時編集部では上司から「ショップは広告を打たないのだから、広告を打ってくれるメーカーから撮影用商品を借りなさい」と言われていました。
ショップに行くといろいろな企業の製品を揃えていますが、そこで商品を借りるのは、能力のない人とみなされたのです。ショップで気になる商品を見つければ、そのメーカーを調べて、そちらから撮影用商品を借りる。そんな苦労を、とても面白く感じていましたね。

※編集部注:
当時のショップの大半は、現在のセレクトショップのような大規模展開ではなかったため、広告を打つショップは非常に限られていました。が、現在はメーカーと同様に、ショップも広告を打つのが普通になっています。
現在、ファッション誌の撮影は分業化されており、商品を借りて、モデルに着せ付けるのはスタイリストが行います。しかし、森岡さんの在籍していた当時のメンズクラブでは、編集者がスタイリストの役割まで担当する伝統がありました。

ファッション誌の撮影について
現在、ファッション誌に掲載する製品は、メーカーのPR担当部署や、PR業務を委託されているPR専門企業のショールームから、撮影サンプルを借りるのが一般的です。そうしたオフィスやショールームの多くは、千駄ヶ谷、原宿、青山・表参道、恵比寿、中目黒周辺にあります。森岡さんがメンズクラブに在籍していた時代は、そうしたシステムがまだ確立されておらず、昔ながらの繊維問屋街である東日本橋周辺にもメーカーのオフィスがたくさんありました。

日本中からファッションイベントへの出演依頼がある森岡さん。こちらは有楽町の阪急メンズ東京で行われたトークショーの様子です。
日本中からファッションイベントへの出演依頼がある森岡さん。こちらは有楽町の阪急メンズ東京で行われたトークショーの様子です。

森岡さん:
DCブランドのブームの影響で、1980年代末から‘90年代初頭にかけて、千駄ヶ谷、原宿、中目黒あたりにも足を運ぶことが増えました。
特に青山ベルコモンズ(2014年3月閉館)のあったキラー通りはファッションストリートとして、ものすごく注目されていたんです。スキーショップジローのそばにはO&Oという24時間営業のカフェがあったのも覚えています。表参道や原宿からちょっと離れている、というのが、一歩先を行くお洒落な人の集まるエリアという雰囲気だったんじゃないでしょうか。

私は浮気性だったので、一つのブランドにどっぷりとつかることはありません。でも、印象深かったのはビームスシップス
まさに若い世代のためのショップで、とにかく若い人が欲しいものは揃っているから、公私を問わず訪れました。
ビギは実にアヴァンギャルドで、別格といった風格でした。古くからトラッドをやっていたジュンは途中で、デザイナーズ、DC系に方向性をシフトしていたイメージがあります。

スターフライヤーという、いままでにないスタイリッシュなイメージの航空会社を作るプロジェクトにも参加し、森岡さんはユニフォームをデザインされました。

私自身はヴァンヂャケットの次にジュンに惹かれそうになりつつ、ビギに興味を持っていました。その一方で、イタリアブランドに目を向けつつ、バルビッシュトキオクマガイと言ったブランドも好みでしたね。

カッコつけていく街、青山・表参道

森岡さん:
オシャレな街並みときれいな女性が歩いている街。それが青山・表参道のイメージです。街が匂いを持っていると言いましょうか。カッコつけていかないと馴染めないし、街が人を選んでいるような気すらします。

かつての六本木もそうでしたね。初めて私が六本木で夜遊びをしたときは、街にバカにされて、一人前に遊べなかったように思います。六本木流や新宿流というような、当時はそれぞれの街に似合う着こなしがありました。その着こなしが分かり、街に馴染んで遊べるようになったとき、少し大人になったような達成感を感じました。
今の六本木にはそうした街の匂いがもうありませんが、原宿・青山・表参道には、まだあるんです。この文化を大事にしてほしいと思います。

たとえば、コム デ ギャルソンのショップに行くなら、ファッション好きであることが分かる装いのほうが店に馴染むでしょう。だから、興味がある方には、積極的にお洒落を楽しんでほしいですね。
昔の私も遊び慣れた大人に教えてもらったり、目から飛び込んでくる情報を吸収したりしているうちに、六本木をウキウキしながら歩くだけでなく、街にとけ込み、街を楽しめるようになりましたから。

昨年秋に、女性のための本を出版

これまで、スタイリングのほかに、メディア、講演、などを通じて、着こなしを提案してきた森岡さんですが、昨年秋に新しい本“デキる女のおしゃれの方程式”を出版されました。森岡さんはこれまでに何冊もの本を出してこられましたが、女性向けは初めて。この本への思いを伺ってみました。

「デキる女のおしゃれの方程式」講談社より発売中。1300円(税別)。
「デキる女のおしゃれの方程式」講談社より発売中。1300円(税別)。

森岡さん:
最初に出した本は男性向けで、着こなしのイロハのイというべき基本しか書いていません。ファッション誌と違い、ファッションが分からない人、仕事が忙しすぎた人、装いに興味を失った読者のために書きました。こうした知識を多くの方が必要としています。
特にビジネスの現場では、ちゃんとした着こなしをしなくてはなりません。昔の仕事の現場ではファッションを気にする人を下に見ていたと思います。が、いまは時代が違います。猛烈に働くサラリーマンが、高度経済成長の時には、必要とされていたでしょう。
でも、いまはセンシティブな時代ですから、気配りや目配りができる人が求められています。服に無頓着な人は、ネクタイの結び方一つにしても、どうしてもだらしない着こなしになってしまうんです。そんなことを紹介したところ、「この本の女性版が欲しい」という要望を多くいただきました。

そうしたニーズもあるし、私も女性にどんどん社会に出てほしい。女性の着こなしはルールがないから、何でもいいやと考える人が多いようです。就職活動用のスーツはあっても、キャリア女性のためのスーツは、世の中に意外と少ない。そんな環境ですから、ちゃんとした着こなしの上司の中にいる女性に、スーツの袖丈や着丈の合わせ方、シャツの選び方などの知識を持ってもらえたらと思っています。

これまで女性のファッションの世界では「正しい」というキーワードがあまり意識されていなかった。私はキャリア女性が、黄色や赤のスーツを着ることが好印象につながるわけがないと考えています。そうした洋服選びで、彷徨っている女性は少なくありません。必要なときに、正しく服を着られる。これは当たり前のことです。この本を通じて、仕事を頑張る女性を応援できればうれしいですね。


男性向けの著書も多数。「男の休日 着こなしの方程式」 1300円(税別)、「男のお洒落の方程式 たかが見た目で損をしない」1200円(税別)、「男のファッション練習帖」 1500円(税別)。すべて講談社から発売中。



東京都が昨年12月から今年1月にかけて開催している、「起業女子全力応援交流会」にも森岡さんは講師の一人として参加しています。
この企画はセミナーやワークショップ、交流会を通じ、女性の起業を応援するものです。ファッションを通じて、多くの人の力になろうとしている森岡さんの姿は、周囲にも元気を与えてくれます。
スタイリスト、ファッションディレクターという枠にとどまらない森岡さんの活動に、今後も注目していきたいですね!


たぬプロフィール

たぬスタンプ

  • キャラクター・スタッフ紹介
  • ももんずさんどうぃっち

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