澁谷城古儀(こぎ)復活! 澁谷流御的(おまと)、破魔神事(はましんじ)(1)
渋谷にはやっぱり、何か不思議なパワーがあると思うにゃん。若者の街だとか流行の発信地だとか、もうずーっと、何十年も言われているにゃん。
ベンチャーを立ち上がる若い人も、なぜか渋谷に集まってくるし、特にウェブ系やファッション系など、クリエイターの人が多いような気がするにゃん。
渋谷はいつも、新しいパワーに満ちあふれているんだにゃん!
渋谷には昔、澁谷氏の居城の澁谷城があったこと、そして金王八幡宮は澁谷城の中にあった澁谷氏の守護神だというお話は、今までも何回かご紹介してきましたが、やっぱり渋谷には、渋谷の神様のパワーがあふれているような気がするにゃん!
金王八幡宮(1)~実は『おもてサンド』も氏子です!~
https://omote-sando.tokyo/series/22607
金王八幡宮 (2)~渋谷にあった渋谷城と、城主の渋谷氏を探る!~
https://omote-sando.tokyo/series/23766
500年ぶりに復活! 澁谷流御的(おまと)神事
今年、平成28年(2016年)は、渋谷の街にとって記念すべき年になったにゃん。
なんと! 約500年ぶりに、澁谷城で行われていた古い儀式『澁谷流御的神事』が、澁谷城にあった金王八幡宮で、旧澁谷城主家当主の澁谷家によって復活、奉納されたんだにゃん!
500年前というと西暦1500年頃の戦国時代。
日本中が混乱する中で途絶えてしまった神事が、この平成の世に復活したんだにゃん。
どんなに時代が変わっても、代々500年も伝えてきた澁谷家は、本当に凄いと思うにゃん!
5月3日に復活したこの『澁谷流御的神事』は、鎌倉・室町時代の礼法に法って行われる、国家の安寧と人々の幸せを願う古式破魔神事にゃん。
かつては宮中や幕府で執り行われた、大切な国家行事だったにゃん。
弓で的を射るというのは、魔を祓(はら)うことになるそうだにゃん。
弓矢の霊力で、魔縁化生(まえんけしょう)、つまり魔界の化け物や、人々の心の中に生まれる悪い感情をお祓いし、国家安寧、みんなの幸せを祈願するんだにゃん!
澁谷氏とは?
この破魔神事の奉納惣代を務めたのは、旧澁谷城主家前主(御隠居)の澁谷五郎兵衛佐安重(しぶやごろうひょうえのすけやすしげ)氏。
そして射手は、安重氏のご嫡男で当主の澁谷獅子太郎兵衛佐光重(しぶやししたろうひょうえのすけみつしげ)氏です。
凄く長いお名前なんだにゃん。
でも澁谷光重さんがおっしゃるには、みんな本当の長い名前を持っているんだけど、明治維新の後に忘れられてしまったそうなんだにゃん。
う~ん、自分も本当の長い名前、調べてみたいにゃん。
澁谷氏は平安時代の頃、北面武士(ほくめんのぶし)(※1)として武勇を讃えられ、平家の代表として儀式を司る“弓太郎役”を務めていました。
澁谷光重さんは、村岡秩父家家督(むらおかちちぶけかとく)41世、澁谷屋形(しぶややかた)(※2)36代。
弓馬宗家のひとつ、澁谷流弓馬術を、一子相伝(いっしそうでん)(※3)で今日まで伝えているんだにゃん。
澁谷流奉崇会(ほうすうかい)とは?
この澁谷流破魔神事の準備を進めてきたのは、澁谷本嫡宗家と澁谷光重さんが会長をつとめる澁谷流奉崇会です。
2年ほど前に金王八幡宮で行われた連続文化講座『武家の大義と礼』で、講師として招かれた澁谷光重さんと、その時の受講生の有志、そして澁谷家と光重さんを応援する人達が中心となった会で、日本の歴史や文化が好きな、普通の人達の会なんだにゃん。
澁谷流奉崇会の入会案内によると「澁谷本嫡宗家が相伝する弓馬礼・武家諸礼に法り、本邦及び武家の伝統を貴び、神仏を奉崇し、儀礼行事を通じ身を養い、徳を重ねる事を趣旨とする会」とのことだにゃん。
精進(しょうじん)の儀
では『澁谷流御的神事』の当日の様子を、ちょっとご紹介するんだにゃん。
まず朝6時に澁谷流奉崇会一同が金王八幡宮に集まり、ミーティングやリハーサルを行った後、9時から『精進の儀』を行ったんだにゃん。
これは精進料理と共に盃事(さかずきごと)(※4)を行い、身を清めて日常〈ケ〉(※5)から儀式〈ハレ〉へと転換するための儀式なんだにゃん。
『精進の儀』で頂く精進料理には“湯漬け”が選ばれました。
湯漬けはご飯にお湯をかけ、漬物や佃煮と一緒に食べる簡単な料理ですが、澁谷光重さんに伺ったところ、武士は湯漬けなどの“汁かけ飯”を食べることが多く、お鍋の時もご飯にお鍋の汁をかけて食べたそうだにゃん。
昔は炊飯器や電子レンジなんてないので、お釜で炊いたご飯もすぐに冷えてしまうにゃん。
昔は上流階級の方々や武士も、汁かけ飯を食べるのが当たり前で、汁かけ飯を食べるときのお作法もあったそうだにゃん。
今回『精進の儀』でいただいた湯漬けは、澁谷奉崇会のメンバーにより、手作りの塩昆布やお漬物、梅干しが用意され、とてもおいしかったにゃん。
その後、役人の役をする男性や、介添え役をする女性の着付け、そして澁谷光重さんの着替えが行われました。
着付けが終わると、皆、何かが降りてきたような、乗り移ったような表情になったんだにゃん。役人の男性の方々も、まるで鎌倉武士のようだったにゃん。
澁谷流引目式
12時に開場してお客様がお見えになり、一同が揃い、金王八幡宮御社殿での御的の祭儀がはじまったにゃん。
正式参拝の玉串奉奠(たまぐしほうてん)(※6)が行われると、いよいよ13時から澁谷流御的神事が始まったにゃん。
まず、金王八幡宮の境内に設けられた弓場(ゆば、弓を射る場所)に、射手を務める澁谷光重さんや、矢拾い、介添え、剣持ちの役人の役をする男性逹、そして介添え役の女性達が参進しました。
弓場の距離は、昔から距離が決まっているそうですが、今回は金王八幡宮の境内の広さを考慮して、近距離で行ったにゃん。
澁谷さんの装束は、武家の最高礼装の直垂(ひたたれ)で、その中でも最高格の儀式で用いられる、白い直垂姿でした。
また烏帽子(えぼし)も、上級武士にのみ許される立烏帽子(たてえぼし)です。
腰の刀は鞘巻き(さやまき)と呼ばれる短刀で、儀式では黒漆塗りが正式だそうだにゃん。
また黒い木の靴を履いていますが、直垂の時は裸足が正式なので、足袋は履いていないんだにゃん。
一同が弓場に揃うと、神職によりお祓いが行われたんだにゃん。
そして射手により、祈念が行われました。これは金王八幡宮のご祭神、弓矢の神・八幡大菩薩様に、特別な霊力を持つ草木をお供えし、祈念する儀式なんだにゃん。
そして射手の澁谷さんが、何やら的の方を鋭い目つきで見つめて念じると、引目矢の第1射目が放たれました。
引目矢は、矢の先端に取り付けられた引目という円筒状の武具に、数か所穴を開けたもので、矢を放つと空気が入って「ホー」という音がするんだにゃん。
この音が邪気や魔物を払って場を清めるんだにゃん。
これは単に弓が引ければ誰でもできるものというのではなく、おまじないみたいな特別な秘術なんだそうだにゃん。
魔物だけでなく、獣も引目の音を聞くと恐怖でふるえ上がるといわれていて、ネコのにゃおこも、思わず逆毛がたってゾッとしたにゃん!
今回の引目式では、澁谷さんが制作された、朴の木と鷲の羽を使用した赤い引目矢を使用しました。
主人みずからが手間暇をかけ、心を込めて準備するということが大切なんだそうだにゃん。
これが武士の、日本人のおもてなしの心なんだにゃん。
5月の新緑が美しい金王八幡宮の境内で、シーンと静まり返った大勢の人々が見守る中、澁谷さんが念を込めてきりきりと引いた矢が、聞いたことのない「ホー……」という音とともに空を切って放たれ、見事に大的に当たりました。
こうして計三回、引目矢が放たれ、『引目式』は終了しました。
澁谷流大的(おおまと)神事
『引目式』が終わると、引き続き『大的式』が行われました。
引目式はピンポイントで魔を祓い、大的式は全般的な魔を祓う神事なんだそうだにゃん。
まずは鎌倉・室町時代そのままに、射手と役人達が参陣し、控えの座に就きます。
そして神職により、弓場とアズチと呼ばれる的場のお祓いが行われます。
射手と役人は儀式に臨む式の座にすすみ、昔の作法通り、奉納惣代の渋谷五郎兵衛佐安重氏の許しを得て、『大的式』が開始されたんだにゃん。
射手の澁谷光重さんは、大的を射る前に、作法通り片方の着物をはだけます。
そして片肌を脱ぐと、弓を構えて矢を射ます。
弓を引き矢を射るだけでなく、こうしたひとつひとつの動作が礼法だそうだにゃん。
今度の弓は白木で、矢は的専用の澁谷流の的矢です。ちなみにこの的矢のことを別名、破魔矢というそうだにゃん。
的矢の棒状の部分は竹で出来ていますが、この竹は数年間ねかせて乾燥させ、火であぶって真っすぐにしているそうだにゃん。
作るのに何年もかかる職人技で、大変貴重なものなんだにゃん。
的矢の羽は鷲の羽を絹糸で巻き、漆で固め、こちらも熟練の技の結晶なんだにゃん。
矢尻は金属ですが、今回は安全性を考えた金属矢尻を使用しているんだにゃん。
大的は156㎝あり、この寸法も何百年も前から同じだそうだにゃん。
日本人って本当に几帳面だと思うにゃん。
大的も澁谷安重さんと渋谷光重さんが自ら手作りされ、作るのにニャント! 何十時間もかかるそうだにゃん。
大的に的矢が当たり貫通すると、ズドッーンという迫力のある大きな音がするにゃん。
間を開けず役人が発する当たりを告げる声が弓場に響き、サムライの儀式というムード満点だにゃん。
今回は澁谷光重さんが1人で6射、射ましたが、通常は6人で36射か、10人で100射を射るそうだにゃん。
500年ぶりに復活した、澁谷家に伝わる古い御的神事。
射手を務められた澁谷光重さんはもちろん、奉納惣代の澁谷安重さんも、何年もかけてこの日のために準備をされ、感慨ひとしおだったと思うにゃん。
光重さんがおっしゃるには、これら多くの道具を作る職人さんがいなくなり、材料さえも手に入りにくく、とても大変だったそうだにゃん。
でもこの手間をかける準備作業も、奉納の内なんだそうだにゃん。
今日のこの日を、かつて渋谷の地を治められた澁谷家のご先祖様方も家来の方々も、大変お悦びになって見守ってくださっていたと思うにゃん。
五月晴れの下、大的とその後にある紺色の布が、金王八幡宮のご本殿から吹いてくる爽やかな風に吹かれ、ハタハタとひるがえっていました。
金王八幡宮の神様、つまり渋谷をお守りくださっている八幡大菩薩様も、大変喜んでいらっしゃったと思うにゃん。
渋谷よ、永遠に! なんだにゃん!
※次回はこの後に行われた直会や、『的流神事』の様子をお伝えするにゃん。
文:重久 直子
- 澁谷流奉崇会 事務局
〒231-0021
神奈川県横浜市中区日本大通7 日本大通7ビル4F YBP
渋谷企画『澁谷流奉崇賛会』
TEL:080-6631-0051
金王八幡宮社務所
〒150-0002
東京都渋谷区渋谷3丁目5番12号
TEL:03-3407-1811