歴史ぶらり旅
2012.05.20

第5回:最終回「かつての渋谷川の流れを辿ってみた~表参道から国立競技場編~」

過去2回(前回前々回)にわたって辿ってきた渋谷川の流れも、ここからが後半戦。「まだ半分なのかいな」というツッコミはさておいて、表参道の北側から、国立競技場に至るまでの道のりを、上流にさかのぼってまいりましょう。

表参道を背に北へ向かう

さて、前回辿り着いた「参道橋」は、表参道ができた大正9年(1920年)、参道に架かる橋として築かれました。昭和13年(1938年)に架け替えられた橋の一部がいまも残っています(写真上)。

ちなみに、連載初回でお伝えしたように、かつて表参道には、浅野のお殿様のお屋敷がありました。忠臣蔵に登場する浅野内匠頭の縁戚、というか浅野の本家のお屋敷です。
明治神宮への参道をつくるにあたり、浅野家は屋敷の一部を差し出しましたが、屋敷内にあった池を埋めるのに大変な難儀がありました。その池の水も、渋谷川に流れ込んでいました。


ここに描かれている絵は何でしょうか?

表参道を歩道橋で渡ると、交番の前に案内板が立っていることに気付きます(写真上)。

種明かしはあとでします。ひとまず、歩みを進めましょう。


より大きな地図で 渋谷川第五回(前半部分) を表示

居並ぶお店に立ち寄りながら(写真下左)渋谷川を上流に歩いていくと、十字路にぶつかります(写真下右)。川と交わる道には、当然橋が架かります。ここには、かつて「穏原橋」という名の橋がありました。橋の名の由来は、この付近の昔の地名、「穏田」と「原宿」の境界に架かる橋だったからということです。




ここから少し北に行くと、道が二手にわかれる地点に出くわします(写真下左)。道路は右に曲がっている方が本道ですが、本来の川筋は左手の細い道の方です(写真下右)。

なぜ、本来の川筋が裏道のように肩身の狭い思いをしているのでしょうか?

そのカラクリを握っているのは、「水車」です。
ここには、かつて「村越の水車」という水車がありました。

「村越の水車」のヒミツ

水車を動かすには、水の勢いが必要です。川筋がうねうね蛇行していると、川の流れはどうしても勢いが出ません。そこで、蛇行している地点で、まっすぐ流れる水路を掘れば、水の勢いを得ることができます。こうしてつくられた水車用の水路が、川の蛇行を減らす昭和初期の改修工事の結果、川の本流になってしまったということです。


より大きな地図で 渋谷川:村越の水車 を表示

この「村越の水車」にまつわる話をもう一つ。
ここで、表参道の交番の前にあった案内板を思い出してください。
案内板に、描かれている絵は何でしょうか?

答えは、葛飾北斎の浮世絵です。その名も、「富嶽三十六景」の「穏田の水車」です。

この浮世絵のなかの水車が、実際にどこにあったかは、いまもってはっきりとしていません。この「村越の水車」か、前回紹介した「鶴田の水車」のどちらかだとされていて、「村越の水車」の方がやや優勢なようです。
150年前、こんなところから、苦もなく雄大な富士を眺めることができたんですね。
いまはにわかに信じがたいですが、高い建物がなかった江戸時代であればこそ。何とも羨ましい限りです。

ちなみに、この「村越の水車」は、もともと精米用の動力として使われていました。時代は明治に移り、その動力の一部は、電線のもとになる銅線をつくるために使われるようになったということです。浮世絵に描かれた水車が、日本の近代産業が勃興していく瞬間に立ち会った――。時代の流れを感じずにはいられません。

「黒んぼの水車」

通りをさらに北上すると、十字路に辿り着きます。川と道が交わるこの場所にも、かつては当然、橋がありました。その名は「石田橋」。橋のたもとには「石田の水車」と呼ばれる水車がありました。

この水車は、享保18年(1733年)ごろから稼働を始めました。精米用として長く使われていた水車でしたが、明治の終わりにいったん廃業となりました。
その後、石田竹次郎という人が、水車を使って黒鉛を粉末にする仕事を始めました。黒鉛の黒さで働く人はみな真っ黒になり、「黒んぼの水車」という別名でも呼ばれていました。黒鉛の粉末は、鉛筆の芯に使うためのものです。

「原宿」はどこか?

「石田橋」をさらに北に進むと、「原宿橋」の跡を示す石柱が残っています。

現代で「原宿」と言えば、原宿駅周辺を思い浮かべる人が多いでしょうが、かつての「原宿」の中心地はこの付近にありました。だから、ここにある橋の名前も「原宿橋」です。古い町名の「原宿一・二・三丁目」も、この周辺です。

原宿発祥の地と言われるところがいまも伝わっています。
ワタリウム美術館にほど近い明圓寺の中に、「原宿発祥之地」の字が刻まれた石碑(写真上)が立っています(以下の地図の「旗」の部分)。
この辺りに、かつての鎌倉街道の宿場があったことから、「原宿」の名で呼ばれるようになったというのが、地名の由来と考えられています。


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◯◯巌でごわす!

「原宿橋」を越え、さらにズイズイ道なりに進んでいくと、またしても通りとぶつかります。
ということは……。
そうです、やっぱりここにも橋が架かっていました。

その名も「巌橋」

この名前でピンと来たあなたはきっと歴史好きです。

ピンと来ないあなたのためにヒントを出すと、昨年末にNHKで放映されていたスペシャルドラマ『坂の上の雲』を見た人は、登場人物を思い出してみましょう。
思い出しましたか?
そう、この「巌」は、大山巌の「巌」なのです。

大山巌は、日露戦争で日本陸軍の満州軍総司令官を務めた人物です。ドラマでは、高橋英樹演ずる児玉源太郎と、柄本明演ずる乃木希典、二人の篤い友情を見守る頼もしさにグッと来た人も多いのではないでしょうか。
大山巌元帥は、青山の地、いまの表参道交差点付近に邸宅を構えていました(下の地図の緑色の部分)。
デ、デカイ!
人物もデカければ、家もデカい!
明治人のスケールの大きさに脱帽です。
そんな大山巌元帥が、この地に架かる橋をよく馬で通ったことから、「巌橋」の名が付けられました。


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暗渠に別れを告げて


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道をさらに進むと、外苑西通りに辿り着きます。
暗渠はここが終着点、というか流れの向きを考えると、ここが暗渠の出発点。
渋谷川の上流は、外苑西通り沿いにまだまだ続きます。
と、ここで、今回の旅路の後半部分を地図でざっと見ておきましょう。

外苑西通りの「霞ヶ丘団地」の交差点(写真下左)と「仙寿院」の交差点(写真下右)には、それぞれかつて「千原橋」「中霞橋」がありました。

「千原橋」の名前は、「千駄ヶ谷」と「原宿」の境に架かっていたことに由来します。
「中霞橋」の名前の由来は、千駄ヶ谷の「中村」と「霞ヶ丘町」を結ぶ道に架かっていた橋だからです。



霞ヶ丘の地名は、全国区で有名な「霞が関」と比べると、圧倒的なまでにマイナーです。それは何も今に始まったことではないようで、明治初期から昭和初期を生きた田山花袋は、大正6年(1917年)に著した『東京の三十年』で次のように書いている。

青山の練兵場の向うに、霞丘町といふところがあつた。それは全く世間から閑却されたやうな町で、かなり東京に通じたものでも、“え?霞丘町?そんな町があるかね?”かう言つて首を傾げるやうなところであつた。

ちなみに、「青山の練兵場」とは、いまの神宮外苑のことです。

でも実は、このマイナーなる霞ヶ丘町にも、全国区で有名な施設があります。
その名も、「国立霞ヶ丘陸上競技場」
あれ?と思った人はきっと正解です。
サッカーの日本代表戦がよく行われる、あの「国立競技場」です。
実は、こんな正式名称だったんですね。

外苑西通りと区の境

「仙寿院」の交差点を超えると、外苑西通り沿いに直線状に流れていた川筋が、にわかにうねうねと蛇行し始め、通りを離れて、都立明治公園の敷地内に入り込んでいきます。
その、まさに蛇行し始めた付近には「上野の水車」と呼ばれる水車がありました。

続くその先の「観音橋」の交差点には、その名の通り、「観音橋」が架かっていました。
交差点の先には、「聖林寺」なるお寺が、いまもあります。
ここに、由緒正しい観音様が祀られていたことから、この名が付けられました。
観音様は、残念ながら戦災で消失してしまいましたとさ。
そして、「観音橋」のすぐ近くには、「観音橋の水車」がありました。

「観音橋」を越え、国立競技場脇の都立明治公園の敷地を抜けると、その先にはJRの中央線が待ち構えています。
かつての渋谷川は、線路の下をくぐって流れていました。渋谷川の源流は、まだ先なのです。

実は、中央線の線路から外苑西通りを離れるまでの渋谷川の流れは、ほぼ、渋谷区と新宿区の境界線が重なっています。
いまの地図だけを見ていると、なぜ外苑西通りを区の境にしなかったのかが不可解ですが、それは、東京オリンピックで外苑西通りがつくられるよりも前に区の境ができていたから。この付近には、民家が建ち並んでいたということですが、いまではその姿を想像することもできません。

最後に、今回の地図のまとめを復習までに。


より大きな地図で 渋谷川を辿ってみた~参道橋から国立競技場~ を表示


参考文献
『「春の小川」はなぜ消えたか 渋谷川にみる都市河川の歴史』(田原光泰・著、之潮(コレジオ))
『「春の小川」の流れた街・渋谷――川が映し出す地域史――』(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館)
『川跡から辿る 江戸・東京案内』(菅原健二・編著、洋泉社)
『渋谷の水車業史』(東京都渋谷区教育委委員会)
『渋谷の橋』(東京都渋谷区教育委委員会)
『おんでん No.46(平成13年6月25日)』(穏田町会)

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