マッシュのオモハラおしゃれ散歩
2016.06.15

ファッション業界人が語る“私と原宿・表参道”(9)岡田恭一さん(ジョイックスコーポレーション)

原宿・表参道と切っても切り離せないのがファッションです。
そこで、このコーナーでは、この地域を舞台に活躍するファッション業界関係者にスポットを当て、街との係わりやお仕事について語っていただきマッシュ!

今回のゲストはメンズファッション業界一筋、約40年!数々の人気ブランドを展開するアパレル企業、ジョイックスコーポレーション執行役員、岡田恭一さんです。


岡田恭一さん

DSC_0004 岡田恭一さん(ジョイックスコーポレーション 販売促進部 執行役員)

プロフィール/学生時代からファッションに目覚め、アイビーに憧れる。1976年、ジョイックスコーポレーションの前身であるアメリカンジャケットに入社。アメリカンブランド、スタンリーブラッカーの生産企画を担当。1982年、同社がポール・スミスと提携し、その後はポール・スミスの企画開発、販促と全般に渡り活躍。2004年より現職。

ジョイックスコーポレーションでは、現在、ポール・スミスポール・スミス コレクションR.ニューボールドザ・ダファー・オブ・セントジョージランバン コレクションランバン オン ブルーヴィヴィアン ウエストウッド マンと多数のブランドを展開中です。

そのなかでも、同社が一番長く手掛けているブランドが、みなさまご存じのポール・スミスです。
岡田さんは、日本での立ち上げからブランドに関わり、ここまでのビッグブランドに成長させた功労者なのです。
まずは岡田さんのファッションヒストリーからおうかがいしてみました。

アイビーに憧れ、ファッション業界に

岡田さん:
私は入社前から雑誌メンズクラブの愛読者でアイビーに強く憧れていました。

当時のメンズクラブではラペルの幅は8cmがいいのか?8.5cmがいいのか? 
シャツはどの程度、ジャケットの袖口から覗いているのが理想的か?など非常に繊細な紳士の装いが丁寧に紹介されていました。
私はそんな世界に魅了されて、メンズクラブ本誌のほか、たくさん発売されていた別冊に至るまで夢中で読みましたね。
(関連記事:ファッション業界人が語る“私と原宿・表参道”(7)石津祥介さん

14 2010年、英国大使館で行われたポール・スミス コレクションのイベントの様子。ポールさんと岡田さんが打ち合わせをしています。

入社後、まずは生産企画を担当

岡田さんの経歴にスタンリーブラッカーとありますが、こちらのブランドでは、どんなお仕事をされていたのでしょうか?

岡田さん:
会社に入社したのが22歳の時です。
当時の社名はアメリカンジャケット(現在はジョイックスコーポレーション)。アメリカンジャケットは親会社であった三幸衣料(現在の社名はトレンザ)が、スタンリーブラッカーを展開するために創設した会社でした。
スタンリーブラッカーはニューヨーク発のブランドで、当時はブレザーに関して非常に名を馳せていたのです。
ブランド名はデザイナーご本人のお名前で、スタンリー・ブラッカーさんは元テニスプレイヤー。
この方はブレザーとスラックスの組み合わせが、とてもお好きでした。

引退後、ご自分の好きなブレザー&スラックスのファッションを世に広めようとブランドを興されたと聞いています。
そこで私が配属されたのは生産企画でした。
いまではブレザーとスラックスの組み合わせは当たり前ですが、当時は紳士服と言えば、まだまだスーツ(上下共生地の背広)が主流でしたね。

28歳でポール・スミスさんと出会う

その後、岡田さんはポール・スミスさんと出会われることになるわけですね?

岡田さん:
ポールさんと初めてお会いしたのは私が28歳の時でした。
「英国の方がいらっしゃるんだって」、そんな話題を会社で聞いたのです。
それがポール・スミスさん。

ポールさんは初来日で、最初は親会社の三幸衣料が日本でアテンド(案内)をするという話でした。

ところが、なぜか三幸衣料の担当者が直前でアテンドをキャンセルしたため、かばん持ちとして京都、大阪、奈良、東京に同行できる人が必要となったのです。
「岡田、お前どうだ?」と、アテンド役を持ちかけられました。
正直なところ、その時期、自分の仕事が思い描いていたものと違うと反抗心が芽生えていたこともあり、喜んで引き受けたわけです。
アテンドの期間は一週間。毎朝、ポールさんをホテルでお出迎えし、夜にお見送り。日本各地をご案内しました。

移動はおもにタクシーで行いました。タクシーの中で、ポールさんとポーリーン・デニアさん(現在のポール・スミス夫人)は鉢植えの花や街中の植物、オレンジ色に染まる夕焼けなどを見ては「見てごらん!」「なんと美しい」と感動していました。そしてそれらを頻繁に口にして表現するほか、写真に収めたりもするのです。
私はその様子を見て、周囲から刺激を受ける感性を自分が持っていないことに気付かされました。自分はおかしな大人になっているんじゃないか?感動する気持ちがなくなってきているのではないか?不安になる一方、何歳になっても、こうしたことに感動できるとは素晴らしい!と心底感じたのです。
これは一例ですが、初めて外国の方と一緒に行動したおかげで、いろいろなことを学ぶことが出来ました。

15 パリコレクション開催時、パリで撮影された一枚。岡田さんたちは夜に行われるショーの打ち合わせを当日の昼間に行っていました。室内のあまりの暑さにポール・スミスさんが「外に出よう」と提案し、みんな揃って中庭で肩の凝らない打ち合わせに。


1982年、ポール・スミスと契約

このときのポールさん来日の目的について教えてください。

岡田さん:
当時の三幸衣料の社長が、同業の友人から「英国に若手で才能のありそうな人がいる」と紹介を受けたそうです。
社長は契約するかどうかに関係なく、ひとまず日本にご招待して、こちらのマーケットを見てもらってはどうか?と考えていたようですね。

最終的に三幸衣料はポール・スミスと契約するに至りませんでした。
この頃、日本では伝統的ないかにも紳士的な英国ファッションが主流。
ポールさんの提案していた作風や縫製が、独創的すぎて理解されなかったのです。

アテンドから4か月後、三幸衣料に代わり、アメリカンジャケットがポール・スミスと契約を締結。
私たちが日本でのビジネスパートナーになりました。

契約後、私には生産企画から販促までやれるところはすべて担当しなさいとの指令が。
仕事の範囲が広すぎて、もはや課も部も関係ありません(笑)。

岡田さんの思い出アルバム パート1
ポール・スミスの事業に30年以上関わっている岡田さんに、大切なお写真を見せていただきました。

1,21982年 ポール・スミスさんの初来日でアテンドを務めたときの様子。このとき、岡田さんは28歳。 ポールさんは岡田さんより8歳年上だそうです。女性はのちにポール・スミス夫人となるポーリーン・デニアさん。当時はガールフレンドとして同行されていました。ポールさんが2000年にSirの称号を与えられたのを機にお二人はご結婚されました。

3,4 1982年 英国出張でポール・スミスのショップを見学。当時からユニークなウインドウディスプレイが話題になっていました。このときは、閉店後にプロジェクターで店内のスクリーンにポール・スミスさん自身が撮影したさまざまな画像が何枚も入れ替わって映写されていたそうです。

6 1982年 日本での契約締結を発表した記者会見の様子。会見はホテルニューオータニで行われました。実はこの会見のために、ポールさんがとても信頼している通訳の人をロンドンで手配してもらっていました。が、発表の2日前にその方が高熱でダウンするハプニングが発生。岡田さんたちは慌てて代役を探したけれど、当時は日本にはファッションを専門分野とする通訳の方がいませんでした。「そのため、急きょ、私が通訳を務めたのです」(岡田さん)。

7,8 1984年 骨董通りに最初のショップが出来たときの様子。オープン前日に関係者を招いてお披露目を行いました。ポールさん自ら来場者一人一人にショップコンセプトやコレクションのことを熱く語ってくれました。


91984年 こちらも初のショップオープン時の一枚。ポールさんが日本のスタッフへの手土産として特別なTシャツを作ってきてくれたのだとか。これならスタッフの士気も高まりますね。

10,111982年 表参道にあった光真ホールで行われた最初の展示会。ポール・スミスさんがお話をしているボーダーニットの女性は、かつて彼が勤務していた英国のショップ、ブラウンズのオーナー夫人です。

ポール・スミスの日本での最初の展示会は表参道にて

岡田さん:
これまで、アメリカンジャケットでは、自分たちのビルで展示会を行うのが当たり前だと考えていました。
でもポールさんは、これにNOと言い、別に会場を借りてほしいと希望したのです。
社長あてにポールさんから「Trust me(私を信頼して)」と手紙も届きました。
「洋服をいい環境で見せることが大事なんだ。ただ洋服を置いているだけでは将来的に難しい」というのが彼の主張。
はじめは私もよく彼の話が分からなかったのですが、徐々に理解できるようになりました。

当時、すでに人気だったラルフ・ローレンさんなども家具がお好きだったようです。英国の雰囲気が感じられるような調度品をお店に置いたりしているのを見て、私にも環境の重要性が分かってきたのです。
私は周囲の人たちからも社長にポールさんの主張を受け入れるよう説得してもらい、なんとか「一回だけなら」と別会場での開催にこぎつけたのです。

ポールさんから依頼された会場の条件はコンクリートの内装。彼はプライベートで都内を散策していて、コンクリートの建物が多いことに驚いていました。
山本耀司さん、川久保 玲さんといったポールさんが尊敬していたデザイナーのお店がコンクリートだった影響もあったようです。

私はポールさんの期待に応えようと喜んでもらえる会場を必死に探しました。
思いついたのが、展示会をたくさん見ているファッション誌の編集者に助言を乞うこと。
そうして、表参道の光真ホールにたどりついたのです。このビルの一階にマツダのショールームがあったことも覚えています。

12,13 芸術にも詳しいポール・スミスさん。コレクションには芸術からインスピレーションを得た作品が多数見受けられます。ファッションは芸術の一部である。これは岡田さんがポール・スミスさんから学んだことだそう。こちらの2016年春夏シーズンの写真もその一例。アート作品の色使いがコレクションに反映されているのです。岡田さんは社内の勉強会でスタッフに、建築や音楽、絵画をはじめとする芸術とファッションの結びつきについて解説されるそうです。「なぜか女性スタッフは男性に比べると、その関係について理解が早いんです」と岡田さん。

展示会の備品にまでこだわることが大事

岡田さん:
展示会ではほかにもいろいろとポールさんから指示が出されました。
お茶をお出しするのに紙コップは厳禁。
食器は必ず白の陶器にするほか、文房具までが細かく指定されていました。
最初、私には理由が分かりませんでしたが、これはゲストにより満足して帰ってもらうための工夫だったのです。
そして、これがイメージアップにつながるのだと、私にも徐々に理解できるようになりました。

イメージは一度壊れると回復するのに、非常に時間がかかります。
当時もデザイナーズブランドの先端の人たちはそれを理解していたほか、ファッションが芸術の一部であると解釈していたのでしょう。

ポールさんは、もともと英国で最先端のショップとして知られるブラウンズでバイヤーをしていました。イッセイミヤケ、ヨウジヤマモト、コム デ ギャルソン。これらを英国で初めて取り入れたのもブラウンズだったと聞いています。
このお店での仕事を通じて、彼は洋服と芸術のつながり、イメージ構築について確信を深めたのではないでしょうか。
洋服はあらゆる要素とのつながりを密接にしていくことが大事

アートや建築の勉強をすれば、ファッションはもっと楽しくなるのです。

展示会の案内状は手渡しの指令が

岡田さん:
契約をする直前の34年前、感度の高いセレクトショップではポール・スミスを直接取引・輸入の形で取り扱っていました。
が、まだまだ日本では英国ブランドと言えば、バーバリー、ダックス、アクアスキュータム、オースチン・リードといった伝統的で歴史のあるブランドが主流。

そうしたなかで、ヴィヴィアン・ウエストウッドやマーガレット・ハウエル、キャサリン・ハムネット、ナイジェル・ケーボンといったデザイナーたちがポールさんの先輩として脚光を浴び始めていました。先輩のブランドに負けないよう、いかに認知度を上げるかは私たちの課題だったわけです。
彼も日本の百貨店やショップをリサーチしては丁寧にメモを取っていました。

ポールさんはとても人と人のつながりを大切にする方です。
初めての展示会の時に、彼から案内状を郵送ではなく編集長に手渡ししてほしいと頼まれました

そこで私は大阪から上京して、ファッション誌の各編集部へ初めてアプローチをすることに。大好きなメンズクラブの編集部を訪れるほか、男子専科、マガジンハウス、集英社、文化出版局、講談社など、たくさん足を運びましたね。
最初にお電話すると7割くらいは、「郵送でいいですよ」「受付に渡しておいてください」と丁重に訪問を断られてしまいます。

でも印象的だったのは講談社のチェックメイト編集部。当時は山田五郎さんが編集部に在籍していらして、展示会も覗いてくださった。いつも編集部を訪問すると、山田さんは「大阪からわざわざすみませんね」と労をねぎらってくれて、こちらに椅子を譲り気さくに世間話などをしてくださったのがありがたかったですね。

岡田さんの思い出アルバム パート2
ポール・スミスの事業に30年以上関わっている岡田さんに、大切なお写真を見せていただきました。

上 1985年 ポールさんと英国のスタッフたちが岡田さんのご実家に宿泊されたこともありました。岡田さんはご両親、奥さま、三人のお子様と家族総出で大歓迎。岡田さんのお母さまがゲスト三人の着物を手縫いして用意されていたそうです。このときは和食と日本酒でもてなしをして、夜中の2時まで大盛り上がり。「日本食だけでとことん楽しんだのはこれが初めての経験だったとポールさんは話していましたね」(岡田さん)。

下 2000年 (左写真)ポールさんはつねにジョークとユーモアで周囲を和やかにしてくれる方だそうです。「オカダ、キミはいつもよくやってくれているよ!」と褒めたたえつつ、首を絞めるふりをして茶目っ気を発揮。岡田さんも負けじとコミカルな表情で応戦します。
2010年 (右写真)展示会の会場にて。祝福のワインを岡田さんに振りかけるジェスチャーで周囲を笑いの渦に巻き込みます。岡田さんとの掛け合いも年季が入っていますね。

ポール・スミス流もてなし術が評判に

岡田さん:
ポールさんは展示会でファッション誌の編集部の方たちに会うと、「ロンドンのことならいつでも案内するので声を掛けて」と積極的に話していました
英国には数々の大御所ブランドがあり、先輩もたくさん活躍中。そのなかで日本の編集者に違った角度から、見てもらうことで自分のイメージを知ってもらおうと思ったのではないでしょうか。
そして、このアプローチは実を結びます。

ファッション誌からロンドン取材のコーディネイトを依頼されると彼は一日、または半日と時間を割いて取材に同行。
彼はアート、建築、ダンス、音楽など幅広いジャンルに精通しています。だから、ポールさんにお願いすると、老舗とは一味違う、現在の流行、話題の人物を紹介してもらえると、編集者たちの間で話題になったわけです。
取材に訪れた編集者たちにポールさんの人柄を通じて、ブランドに関心を持ってもらうことでクリエイションが理解されるようになりました。

丸五年、ブランド運営に加えて、そうした地道な努力を続けた結果、ポール・スミスの特集記事など誌面への露出が増えていくことに。

ポールさんが良く言う言葉は ”Business with Heart”。これはハートあるビジネスをという意味です。
彼は会社と会社の付き合いではなく、心のつながりを持って仕事をしたいと考えています。彼が自らゲストに対応したり、スタッフとも気さくに食事をしたりするのは、そうした気持ちの表れなのでしょう。

1984年、一号店が青山にオープン!

岡田さん:
展開開始から5年で売り上げは右肩上がりに伸びました。
日本でのスタートから2年目の1984年には骨董通りに一号店をオープン(編集部注:現在、ファミリーマート南青山六丁目店のある場所)
青山店オープンをきっかけに売り上げもますます上がっていったように思います。

店内の什器はポールさん自身が英国で調達して送ってくれた、こだわりのもの。什器は昔からあるチョコレートブラウンのマホガニー素材で、これは英国人にとっては非常になじみ深い木材です。
ポールさんの作風はモダン&クラシック。伝統をベースにしながら、いかに味付けをするかが持ち味と言っていいでしょう。什器も同様で伝統的ですが、そこにどんなモダンな要素を組み合わせるかがポイントなのです。

製品を手掛ける工場の人たちとも積極的に交流

岡田さん:
1980年代前半はインポート商品も並べていましたが、徐々にインポートを減らし、日本製の比率を高めました。シャツやスーツ・ニットの縫製。生地の生産。私たちはさまざまな工場とお付き合いをして製品を作らなくてはいけません。
最初は販売する場所も少ないので、私たちはたくさん生産することが出来なかった。工場からは「ロット(最小発注数)が足りない」「工賃が見合わない」と言われ、大変でした。ポールさんは本国で、同じことを経験していたそうです。でも、それを乗り切れたのはポールさんだからこそ。
彼は年に二回来日します。そのとき、できあがったカタログを持って、工場へ自ら感謝の気持ちを伝えに行くのです。これによって工場の方々とよい関係も築けて、みなさんが「ポールさんのためなら」と一肌脱いでくださるようになった。

ポールさんは、今もこうした人間関係を大切にして関係先への訪問を続けているんですよ。


ファッションを満喫できる街、表参道

では、ここで30年以上前から表参道エリアを見てきた岡田さんに、地域の面白さを聞いてみましょう。

岡田さん:
かつてVANの石津謙介さんが青山、表参道から日本のファッションのスタートができるとおっしゃっていたのを思い出します。(※)
表参道駅から明治神宮へ行くまでの樹齢の長いケヤキ並木は魅力的。長い歴史の中でラグジュアリーブランドが多く進出してきた一方、若者に魅惑的なキャットストリートもある。表参道からフジフイルム(骨董通りと六本木通りの交差点)のあるあたりまでは特に雰囲気がいいし、僕の好きなお店もあるんです。

特に街のすごさを感じるのがVOGUE ファッションズナイト・アウト(FNO)(※※)。たくさんのお店が参加しますが、これらが点ではなく、途切れずに線でつながっています。
つまり街全体にファッションを通じた一体感があり、ワクワクさせてくれる環境づくりが整っています。表参道はいろいろな年齢の人を優しく包んでくれる街ですね。

※ヴァンヂャケット(VAN)のオフィスが1963年に移転してきてから、青山、表参道はファッションの街へと変わりました。それまで、このエリアは特にファッションの街ではありませんでした。
※※FNOはファッション雑誌VOGUEがスタートした世界最大級のショッピング・イベントです。


ポール・スミス 渋谷店の魅力を解説
1991年のオープン以来、明治通りのランドマークとなっているのがポール・スミス 渋谷店です。ここで岡田さんに、関係者だからこそご存知の店内の秘密を聞いてみました。

12店内に入り、右手に並ぶガラスのショーケース。こちらもポール・スミスさん自らが英国で探したアンティークをリノベーションしたもの。かつては病院で注射器などの医療器具を収めていた棚だったのです。

S 0018この床にもご注目あれ。こちらはポールさんが信頼している古い建物や家具を扱う英国の専門業者がパリ郊外で見つけたものです。床部分をそのままの形で日本へ運んでいます。材木の組み合わせ方が、なんとヴェルサイユ宮殿“鏡の間”の床と同じ手の込んだ仕様になっているんです。

S 0020伝統的な英国の建物を感じさせる内装に爽やかなサックスブルーの壁の色使いがユニーク。これが、伝統とモダンのミックスなのです。

S 0024重厚な階段の金属製手すりも海外から運ばれてきたもの。岡田さんとポールさん自ら錆止めの、にかわを塗ったとのこと。

S 004038こちらのベンチは背中の部分が棚になっています。少し湾曲したデザインがユニークですね。実はこちら、もとは裁判所の設備と聞いてビックリ!とにかく店内には、英国の伝統とポール・スミスさんのクリエイションを堪能できる仕掛けがたくさん。ショッピングはもちろん、インテリアを拝見するだけでも足を運ぶ価値がありますよ。


いまでは大人気のポール・スミスですが、その成功の陰に秘められたストーリーは実に興味深いものでした。
これからもメンズファッションの世界を大いに盛り上げていかれる岡田さんのご活躍を楽しみにしておりマッシュ!



店名 ポール・スミス 渋谷店
住所 東京都渋谷区神宮前 6-18-13
電話番号 03-5466-1950
営業時間 11:00-20:00

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