表参道 歴史にゃんぽ
2016.11.07

清らかなる渋谷の丘で執り行われた國學院大學『観月祭』

渋谷は“若者の街”と呼ばれていますが、実は学校も沢山あるんだにゃん。
渋谷駅と恵比寿駅の間の閑静な住宅地には、青山学院大学、実践女子大学、國學院大學、少し離れて、日本赤十字看護大学、聖心女子大学がほぼ固まって並んでいるんだにゃん。大学だけじゃなくて高校、中学校、小学校も沢山あって、ホントにこの辺りは学校だらけなんだにゃん。
こんな素敵なエリアの真ん中にあるのが、國學院大學なんだにゃん。

今回はこの國學院大學で行われた『観月祭』に参加させていただいたにゃん。

神楽舞『豊栄舞』神楽舞『豊栄舞』 大勢の方々が王朝絵巻に見入りました。

ここでしか見られない國學院大學の学生さんによる雅楽は、若々しさと清廉さに溢れ、とても素晴らしかったにゃん!
みんなで名月を愛でながら秋の実りに感謝し、熊本地震の復興祈願をお祈りしたんだにゃん!
月の神様の月読命(つくよみのみこと)も、とてもお悦びになられたと思うにゃん!


國學院大學ってどんな大学なの?

國學院大學は、実は日本で最も古い私立大学なんだにゃん。(※1)

大正9年(1920年)に、明治政府によって大学令が施行された時、日本で初めて7つの私立大学が許可されたにゃん。國學院大學はその時、慶応義塾大学・早稲田大学・明治大学・中央大学・日本大学・法政大学・同志社大学と共に認められた、日本で最も古い私立大学のひとつなんだにゃん。

國學院大學には文学部・神道文化学部・法学部・経済学部・人間開発学部がありますが、学部に関係なく学べる基礎科目群の中に、日本について学ぶことができる國學院科目があり、礼法・雅楽・茶道・和歌などを体験しながら学ぶことが出来るそうだにゃん!

明治時代の日本は、西欧に追い付け追い越せと一生懸命近代化を進めていました。でも、西欧の優れた学問や知識や技術も学ばなければならないけど、日本古来の文化や歴史も大切にしようという、“和魂洋才”の精神も大切にされたにゃん。國學院大學は今も昔もこの精神を一番大切にしている大学だと思うにゃん。

※1…国立の大学はそれよりちょっと早くからあったにゃん。帝国大学令が施行されたのが明治19年(1886年)で、明治10年(1877年)に創立した東京大学が帝国大学になりました。明治30年(1897年)には京都帝国大学が出来、帝国大学は東京帝国大学になりました。

國學院大學の前身は、明治15年(1882年)に創立された皇典講究所(こうてんこうきゅうしょ)でした。皇典講究所は日本の歴史、文学、法制史の研究や教育を行うところで、初代総裁は有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみや たかひとしんのう・1812-1886年)でした。

有栖川宮家は江戸時代初期より日本の書道と歌道の師範を務めた名門で、伏見宮(ふしみのみや)・桂宮(かつらのみや)・閑院宮(かんいんのみや)と共に、四親王家と呼ばれたほどなんだにゃん。

有栖川宮幟仁親王は明治天皇から大変信頼され、皇典講究所総裁のほかにも中務卿、神祇事務総督、神道教導職総裁を務められたにゃん。また『五か条のご誓文』の正本を揮毫(きごう※2)されたことでも有名で、明治天皇の書道の師範も務められ、大勲位菊花大綬章を賜ったんだにゃん。

※2…筆で文字や文章を清書すること。

いよいよ、観月祭なんだにゃん!

『観月祭』は2016年10月15日土曜日の午後4時から、國學院大學渋谷キャンパスの130周年記念5号館ピロティで行われました。今年で7回目になるそうです。

ピロティには正面に大きな岩があり、何だか天照大神(あまてらすおおみかみ)がお隠れになったという天岩戸(あまのいわと)のような、神様が宿るご神体の磐座(いわくら)のような、そんな風にも見えたにゃん。

熊本県の代表の方と國學院大學学長・赤井益久さんによる玉串拝礼が行われました。熊本県の代表の方と國學院大學学長・赤井益久さんによる玉串拝礼が行われました。

まず行われた熊本地震復興祈願では、参列者や会場をお祓いする修祓(しゅぱつ)、お神酒や月見団子などの秋の作物をお供えする献供(けんく)、そして熊本地震復興を祈願する祝詞奏上(のりとそうじょう)、玉串拝礼(たまぐしはいれい)が行われました。


被災した方々が一日も早く平穏な日常に戻れますように、そして一日も早くふるさとが復興しますようにと、皆でお祈りしたんだにゃん。

國學院大學の学生さんによる管弦・神楽舞・舞楽の奉納

國學院大學神道文化学部には850人程の学生さんがいるそうですが、その中から希望者の100人程が『観月祭』の準備をすすめ、更にその中から50人程が奉納に出演したそうだにゃん。

ご指導にあたられたのは、総括・典儀・祭式作法の授業などを担当している茂木貞純教授総合指導は小野照埼神社の宮司様で小野雅楽会会長でもある小野貴嗣講師です。
そして揃えられた素晴らしい衣装や雅楽の楽器の数々にもびっくり!國學院大學の学生さん達は恵まれた環境の中で、素晴らしい方々の指導を直々に受けられ、本当に羨ましいにゃん!

1.管絃(かんげん)

管弦神々しい楽の音に包まれました。

まず、打楽器の鞨鼓(かっこ)・太鼓・鉦鼓(しょうこ)、管楽器の笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・竜笛(りゅうてき)による管弦が行われました。
笙は“天から差し込む光”、篳篥は“人の声・地上の音”、竜笛は“天と地の間を行き交う龍の鳴き声”を表現しているそうだにゃん。

そして前奏曲の『太食調(たいしきちょう)の音取(ねとり)』、続いて唐の玄宗の作ともいわれる『傾盃楽急(けいばいらくのきゅう)』、そして天平8年(736年)に唐から伝わったといわれる『馬頭(ばとう)』が厳かに奏でられました。

2.神楽舞(かぐらまい)

『豊栄の舞』は黄色い花を持ったかわいい4人の舞姫達が、森羅万象の神々を崇めその恩恵に感謝する踊りなんだにゃん。作詞は國學院大學名誉教授で国文学者の臼田甚五郎先生(1915年―2006年)です。

あけの雲わけうらうらと 豊栄昇る朝日子(あさひこ)を
神のみかげと拝(おろが)めば その日その日の尊しや

『豊栄の舞』『豊栄の舞』 清らかさが伝わってくるにゃん!

『豊栄の舞』かわいくて涙が出そうになったにゃん!


続いて行われた『浦安の舞』は、昭和15年の皇紀2600年を奉祝して作られた舞なんだにゃん。“浦安”というのは“心安らか”という意味で、平和を祈る舞です。十二単を元にして作られたという美しい装束の舞姫達が、檜扇や神楽鈴をもって踊ります。昭和天皇がお読みになった歌が歌詞になっています。

天地(あめつち)の 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を

『浦安の舞』『浦安の舞』 息をのむほど美しい衣装だったにゃん!

『浦安の舞』檜扇や神楽鈴の使い方も素敵だったにゃん。


3.舞楽(ぶがく)

『振鉾』『振鉾』 素敵だったので、もっと長く観ていたかったにゃん!

『振鉾』(えんぶ)は、舞楽の上演に先立ち、鉾を持った舞人が鉾をふりながら舞台を清める舞です。
左方(さほう・中国系の楽舞)と右方(うほう・朝鮮半島系の楽舞)が一人ずつ登場するのですが、今回は左方の舞人1人で舞台を清めました。周の武王(紀元前12世紀)が天下泰平を誓った曲だといわれ、とても男らしくてカッコよかったにゃん!


次に行われた『延喜楽』(えんぎらく)は、醍醐天皇の時代、延喜年間(901年―923年)に作られた演目で、おめでたい時に必ず舞われたそうです。
右袖を脱ぐ片肩袒(かたかたそで)で舞うのですが、下襲(したがさね)の衣装とのコントラストがとってもおしゃれだったにゃん!鳳凰をかたどった鳥甲(とりかぶと)という兜も素敵だったにゃん。毒草のトリカブトは、この鳥甲に似た形をしていることから名づけられたそうだにゃん。

『振鉾』『延喜楽』 衣装のデザインも素敵だにゃん。

『延喜楽』鳥甲(とりかぶと)もオシャレだにゃん。


最後に行われた『賀殿急』(かてんのきゅう)は、遣唐使の藤原貞敏が承和年間(834年―847年)に唐から持ち帰ったといわれる曲です。フィナーレにふさわしく、赤と白の衣装に身を包んだ6人の若者達による全身全霊を込めた舞は、本当に素晴らしかったにゃん!

『賀典急』 こちらも鳥甲(とりかぶと)を被っています。『賀典急』 こちらも鳥甲(とりかぶと)を被っています。

『賀典急』6人の息がぴったり合いました。


練習風景

『観月祭』の練習は、6月から約5ヶ月間に渡って行われたそうです。最初は楽譜を追うだけで精いっぱい、楽器の音を出すのも大変だったそうだにゃん。

本番の2日前には、國學院大學若木タワー18階の有栖川宮記念ホールで、リハーサルが行われました。目の前に東京タワーや六本木ヒルズが見える高層ビルの最上階にあるホールで、学生さん達が千年以上昔から続く歴史ある雅楽や舞の練習をする姿は、とても神秘的で素敵だったにゃん。
まわりの風景がどんなに変わっても、素晴らしい文化はこうして受け継がれていくんだにゃー、と思ったにゃー…。

最後の稽古に熱がはいります。

先輩が後輩を優しく気遣っている姿も印象的でした。


『観月祭』の中心となった國學院大學の神道文化学部は、神社にお勤めする神職の方々を輩出しています。全国には8万を超える神社があり、毎年沢山の神社から求人の申し込みがあるそうです。公務員や一般企業に就職する学生もいますが、どの道に進んでも國學院大學で学んだ素晴らしい日本文化を、大勢の方々に伝えて頂きたいな~、と思ったにゃん。

学生にインタビュー

最後に『賀殿急』で舞人を務められた4年生の工藤倭(やまと)さんに、今日の感想を伺いました。

「去年は後方で舞ったのですが今年は前方で、少し緊張しました。でも今日の楽は今までで最高の出来で、とても舞いやすかったです!1、2年の時は管弦に参加して竜笛を担当しました。3、4年は舞楽です。私は卒業後、神社に奉職するのですが、『観月祭』の経験を今後も生かしていきたいと思っています。『観月祭』は私達だけで行うのではなく、見てくださる方々がいて出来ることなので、見てくださった方々にとても感謝しています。どうもありがとうございました!」

大学4年間、最初は管楽で竜笛を担当し、3年生で舞人へ、そして4年生で前面を舞うという大役を務められ、充実した大学時代を過ごされたことと思うにゃん。そして仲間達と力と心を合わせて成功した今日の『観月祭』は、きっと一生に残る経験になったと思うにゃん!
キラキラ輝く学生さん達の笑顔に、これから雅楽男子、雅楽女子のブームがくるんじゃないかと、ちょっとワクワクしちゃったにゃん!

クール・ジャパンなんていうのが今世界中で流行っているけど、アニメやゲームだけじゃなくて古来から伝わる日本の伝統文化も多くの人にちゃんと知って欲しいと思うにゃん。
素晴らしい日本文化を、さりげなくカッコよくきちんと伝えられる若い人が、もっと増えるといいな~、って思うにゃん!超クールだと思うにゃ~!!

文:重久 直子

國學院大學
https://www.kokugakuin.ac.jp/
國學院大學博物館もおススメなんだにゃん!
https://museum.kokugakuin.ac.jp/exhibition/detail/id=1
小野照埼神社HP
http://onoteru.or.jp/

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