鳩森八幡神社 (1)千駄ヶ谷の総鎮守
東京体育館の丸い屋根が見えるJR千駄ヶ谷駅から徒歩5分。
大きな銀杏の木がこんもりと繁る鎮守の森に、鳩森(はとのもり)八幡神社があります。
鳩森八幡神社 は1100年以上の歴史を持つ、千駄ヶ谷一帯の総鎮守
鳩森八幡神社は平安時代の初め頃、今から1100年以上も昔に創建された大変歴史の古い神社です。
応神天皇と、応神天皇の母君の神功皇后を主座にお祀りし、武の神、源氏の守護神、破邪顕正(はじゃけんしょう・正義を明らかにすること)、国家鎮護の神として、人々の崇敬を集めてきました。
鳩森八幡神社は千駄ヶ谷一帯の総鎮守、産土神(うぶすながみ)で、氏子区域は、新宿高島屋タイムズスクエアのあたりから、代々木駅、千駄ヶ谷駅、北参道駅周辺まで広がっています。
実は鳩森八幡神社は、有名な鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮より100年も前に創建された、本当に古い神社なんだにゃん。
JR渋谷駅の近くにある金王八幡宮ゆかりの渋谷金王丸も、鳩森八幡神社に祈願し、見事に戦勝をあげたという記録が残っているそうだにゃん。
鳩森八幡神社の境内のご案内
鳩森八幡神社の境内には、総欅 (ケヤキ)造りの立派な御社殿、権田原から遷座された天照大御神をお祀りする神明社、甲賀鉄砲組の武士達が崇敬した甲賀稲荷社、東京都の有形民俗文化財の富士塚と冨士浅間神社、そして『王将』の大駒が奉納されている将棋堂、能や狂言が奉納される能楽殿など、素晴らしいものが沢山あるんだにゃん。
御社殿
鳩森八幡神社の御社殿は、弘化2年(1845年)に完成した総欅造りの社殿でしたが、昭和20年(1945年)の大空襲により、悲しいことに焼失してしまいました。
戦後、復興事業を重ね、昭和56年(1981年)に社殿が完成、その後、平成5年(1993年)に昔と同じ姿の総欅造りの社殿に復元されました。
天井には戦前の社殿と同じく、草花や暮らしの道具を描いた素晴らしい天井画が描かれています。
千駄ヶ谷の富士塚
鳩森八幡神社の富士塚は、江戸時代『千駄ヶ谷の富士塚』と呼ばれ、江戸七富士のひとつに数えられていました。
富士塚というのは、江戸時代に大流行した富士山信仰の人工の小山で、小さいけれど富士山そっくりに作られているんだにゃん。
富士山に登れないお年寄りや女性も、この富士塚に登ることで富士山の神様のご利益が受けられたんだにゃん。
鳩森八幡神社の富士塚は、今から200年前の寛政元年(1789年)に築かれたもので、現存する中では都内最古、都指定有形民俗文化財に指定されています。
こんなに凄い文化財なのに、いつでも誰でも登れるというのが凄いにゃん!
甲賀稲荷社
この甲賀稲荷社は、江戸時代、甲賀忍者の流れをくむ甲賀鉄砲組の邸内にありました。
徳川家康が江戸に入国した時、甲賀鉄砲組は江戸城を守るため、今の国立競技場の辺りに組屋敷を拝領しました。
甲賀稲荷社はそのお屋敷の中にあり、甲賀衆の武士達に崇敬されていたんだにゃん。
将棋堂
将棋堂には、すぐ近くにある将棋会館(日本将棋連盟本部)の方もよくお参りに訪れるそうです。
鳩森八幡神社の境内では『将棋堂祈願祭』や『大山15世名人記念将棋大会』が行われています。
平安時代のスーパーヒーロー・慈覚大使円仁
鳩森八幡神社には、『江戸名所図会』によると以下のような縁起が言い伝えられています。
昔々、千駄ヶ谷のこの辺りは大きな深い森でした。不思議なことに、この森には時々瑞雲(ずいうん・おめでたいことが起こる前兆に現れる雲)が現れることがありました。
ある日、青い空に白い雲が現れ、この森の上で飛び散りました。不思議に思った村人達が森の中に入ってみると、突然たくさんの白い鳩が現れ、西の方へと飛び去っていくのが見えました。人々は神秘的な力を感じ、ここに祠(ほこら)を作ると、この森を『鳩の森』(はとのもり)と名付けました。
それから時が経ち、貞観2年(860年)、東国諸国を巡っていた慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)という大変偉いお坊さんがこの地を訪れました。
村人達は円仁に、『鳩の森』の祠にご神体を作ってくださるようにとお願いしました。
円仁は、この森に伝わる白い鳩の伝説を聞き、 「鳩といえば八幡神のお使いですから『八幡神社』がよいでしょう」とおっしゃり、神功皇后と応神天皇のご尊像を作り、『鳩森八幡神社』を創建されました。
鳩森八幡神社を創建された慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん・794-864年)は、平安時代の初めに活躍した天台宗の宗祖で、『入唐八家』(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人にも数えられた大変すばらしいお坊さんです。
円仁は今の栃木県に生まれ、9歳の時に京都・嵯峨野の大覚寺に入り、15歳の時、比叡山延暦寺を開いたばかりの最澄の元に入門しました。
そして遣唐使として唐に渡り、仏教を学びながら『入唐求法巡礼行記』という旅行記を残しました。
この旅行記はマルコ・ポーロの『東方見聞録』、玄奘(三蔵法師)の『西遊記』と並び、“世界三大旅行記”と呼ばれているんだにゃん!
円仁は帰国すると日本各地に仏教の教えを広め、特に東北や関東に500社以上のお寺や神社を作りました。
浅草の浅草寺、目黒不動として知られる瀧泉寺、山形の立石寺や山寺、岩手の黒石寺、平泉の中尊寺、青森の恐山、宮城の名勝・松島瑞巌寺……、全部、円仁が創建したんだにゃん!
そして困っている人々のために井戸を掘ったり、怪物を退治したりといった伝説も、各地にたくさん残っているんだにゃん。
ところで「何でお坊さんが神社を創建したの?」と思った方もいるかもしれないにゃん。
昔は神社とお寺が一体となっているところが沢山ありました。
奈良時代に仏教が伝来した時、元から日本にあった神道と融合し、お互いが助けあって日本人の心の拠り所になった、とも言われているんだにゃん。
夜空の下、薪の炎に照らされる『鳩森薪能』
鳩森八幡神社には大変立派な能楽殿があります。
毎年5月には鳩森薪能が行われ、9月の例大祭でも能の奉納が行われています。
実は前の宮司様が大変能が好きな方だったので、元は神楽殿だったのを能楽堂にしたそうだにゃん。すぐ近くに国立能楽堂もあるので、とても良いと思うにゃん。
今年行われた鳩森薪能では、狂言は三宅右近さんによる『腰祈』が、能は櫻間右陣さんによる『千手』が奉納されました。櫻間右陣さんはシテ方金春流、第21代櫻間家ご当主。
夜空の下で繰り広げられた幽玄な世界に、舞台と客席が一体となってとてもすばらしかったにゃん!
そして地元の鳩森小学校の子供達も、日頃から鳩森八幡神社を通じて、様々な日本の文化と触れあっているんだにゃん!
盆踊りや将棋大会、そしてお能の謡や連吟を教わる機会もあり、今回の薪能でも、沢山のお客さんの前で、連吟『弓八幡』(ゆみやわた)を披露したんだにゃん!
子供の頃から謡や連吟を学べる鳩森小学校の皆さんが羨ましいにゃん!
地域の人々に親しまれ、皆が集う鳩森八幡神社
鳩森八幡神社では年間を通じて様々な行事が行われていますが、常に地域の方々と寄り添い、人々の心の拠り所になっていると思ったにゃん。
せんだがやタウンマーケット
『鳩森薪能』が終わって10日も経たないうちに、今度は『せんだがやタウンマーケット』が境内で開催されました。
『せんだがやタウンマーケット』は、鳩森八幡神社の近くのお店やグループが参加する、”作り手(創り手)のこだわり”を大切にしているコミュニティマーケットなんだにゃん。
作家さんによる手作りアクセサリーや焼き物、書籍、お菓子まで、センスの光るものばかりだったにゃん。
戦没者慰霊碑
また鳩森八幡神社では、戦後70年たった今も、戦争でお亡くなりになった地域の方々の慰霊祭を行っています。
50回忌をひとつの節目として終わることが多い慰霊祭ですが、今も継続している鳩森八幡神社は、とても素晴らしい神社だと思ったにゃん。
一年を通して様々な行事が行われています
そして季節ごとの、慣例のお祭りも行われているにゃん。
新年の初詣、2月の節分祭、4月の甲賀稲荷社大祭と子供まつり、6月の富士浅間社例大祭と夏越の大祓い(おおはらい)、そして9月の秋季例大祭、11月の七五三詣りと新嘗祭(にいなめさい)、12月の大祓祭典斎行と、1年中大変お忙しい鳩森八幡神社にゃん。
1100年以上も昔から、千駄ヶ谷一帯を守ってくださっている総鎮守の氏神様。
日頃の感謝の気持ちを伝えに、多くの人にお参りに行って欲しいと思ったにゃん。
「鎮守の杜として地域の人々に活用してもらい、地域を盛り上げていきたい。そのためにもこれからも神社を守りたい」
とおっしゃる宮司の平野さんのまなざしが、とても優しく頼もしかったにゃん。
次回は、鳩森八幡神社にある都内最古の富士塚『千駄ヶ谷富士』について、もっと詳しくお伝えするにゃん!
文:重久 直子
住所:東京都渋谷区千駄ケ谷1-1-24
アクセス:JR「千駄ヶ谷」駅 徒歩5分/東京メトロ「北参道」駅 徒歩5分/都営大江戸線「国立競技場」駅 徒歩5分
電話番号:03-3401-1284
社務所窓口:午前9時〜午後5時
【関連リンク】
鳩森八幡神社フェイスブックページ
国立能楽堂
日本将棋連盟
三宅狂言会
櫻間會